フィリピン留学相談はスピーディーで選ぶ時代
人生

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こんにちは。フィルポータルでライターをしている佐藤英太です。

現在24歳のぼくは大学卒業後、アイルランドの工房とコネクションのある、岐阜県の木工房で修行をしていました。2年間の木工修行を積み、アイルランドの工房で働くという人生を頭に描いて。しかし半年で挫折、何のスキルも無いただのニートになってしまいました。

その後は温泉旅館でリゾートバイトをしたり、ゲストハウスを転々としたりしながらライティングの仕事を細々と続ける生活をしていました。そして紆余曲折を経て、現在はフィリピン・セブ島でライターとして働いています。

インターネットで「ライター 求人」と検索し、求人を片っ端からリストアップ、1件目に応募したものがたまたま採用され、ライティングの仕事をもらえるようになりました。

24歳で僕の人生に転機が訪れる。海外で働くキッカケは突然訪れた。

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転機は突然やってきました。日本にいたときは高知県のゲストハウスに滞在(住み込みのお手伝い)しながらライターの仕事をしていました。

ゲストハウスには毎日、さまざまな方がいらっしゃいます。そのうちの一人に偶然、フィリピン・セブ島で語学学校を経営する方がいらっしゃいました。ぼくは受付スタッフをしていて、会話を進むうちに…。

経営者「うちの記事書いてくれたら、英語の授業提供できるかもだけど、どう?とりあえず名刺渡しておくね。」

ぼく「え、あ、はい(ええ!?なんだこの展開…)」

その後、息を整えて連絡し、ブログなどを見ていただき、ライターインターン生として海外で働くことが決定しました。

セブ島で働いていた時にやっていたこと

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ぼくの仕事は主に、ブログ記事のライティングでした。セブ島留学のことやセブ島での暮らし、また学校の紹介記事などを書いていました。朝の8時30分から17時30分まで仕事で、そのうちの2時間が英語の授業でした。

仕事内容を具体的にいうと、SEOキーワードを選定して対策するリストをつくり、それを元にブログ記事を…といってもわかりませんよね。

語学学校のブログへのアクセスを増やすためにアレコレ考えて記事を書く、といったイメージです。

セブ島の暮らしから、24歳のぼくが学んだこと

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セブ島では大きく分けて3つのものを学びました。

1.寛容になること。

ぼくは主にタクシーで移動していたのですが、10回に1回くらいはよくわからない理由で乗車を断られました。

例えば「これから買い物に行く(そしてあなたの行き先は私と違う)から」とか、「これから帰宅する」とか「腹減った(これからご飯食べに行く)」とか。

「おいおい仕事だろう」と、初めはイライラしていましたが、だんだんと慣れてきました。「ああ行き先が違うのね。いってらっしゃい」という気持ちで対応しています。

2.ひとりでは生きられない。

ぼくにとっての初めての海外、それがセブ島でした。どこが安全で、どこが危険なのか、タクシーの乗り方も、スーパーでの買い物の仕方も、なにもわかりません。ひとりでプラプラすることが好きなぼくが、セブ島に来た途端に身動きが取れなくなりました。

一週間ほど、職場の先輩の金魚のフン状態になり、2週間くらい経つと徐々に慣れてきました。セブ島にきてわずか二週間で「ひとりでは生きられない」ということが、骨の髄まで染み込みました。

3.自分は日本人である

セブ島で暮らしていると、ストリートチルドレン、タクシー運転手、バイクタクシーのライダー、お土産売り(?)、たくさんの人に話しかけられます。
セブ島の町並み。写真ギャラリー

ストリートチルドレンたちは「コンバンワ、コンバンワ」と言い、観光地では、売り子(?)のような人が「オミヤゲ、オミヤゲ」としつこく話しかけてきます。時には3、4歳くらいの子供が「ギブミーマネー!」と言ってきます。

「なぜ、こんなに話しかけられるのだろう?」と疑問を感じ、先輩に話を聞くと、「日本人はお金持ちに見られるからね、気をつけたほうがいいよ」と教えてくれました。

ぼくはこの時に初めて、自分は日本人なのだと自覚しました。実際には全くお金持ちでなくとも、フィリピン人から見たら日本人は「お金持ちの国」から来た人です。

セブ島での学びは、いい加減に暮らすこと。

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ぼくはこのような体験を通して「一人では生きられないのだから、もっと他人に対して寛容になってもいいんじゃないか」と思うようになりました。もっとも、デタラメな仕事をしてはいけないのですが笑。日本人は、生真面目すぎるのではないかと思います。ぼくは日本で生活していたとき、なんとなく息苦さを感じていたのですが、これだったのかと気づきました。

現在ぼくはフィルポータルで仕事をしていますが、フィルポータルで働くことを決めた理由のひとつは、セブ島の「いい加減な空気感」です。わりと気に入っています笑。

海外に出ることは、人生において良いスパイスになります

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海外に出てみて感じたのは、勢いに任せて出てしまうのもアリだなぁということです。海外で働くチャンスは、現地に行くことでより見つけやすくなります。

ぼくの場合は「ライティングスキル」を持っていることが幸いして、フィルポータルに誘ってもらいました。ライティング歴1年弱で、大した実績のないぼくが、メディア立ち上げにガッツリ関わる仕事をもらうチャンスは、日本ではなかなか見つからないと思います。

日本で1〜2年なにかしらの経験を積んでいる人であれば、海外で仕事をもらえるチャンスはあると思います。接客対応ができるとか、Webサイトのデザインができる、ディレクションの経験がある、写真をとれるなど。「プロフェッショナルではないし」という風に思っていても、思わぬところで求められることもあります。

人生は1回きり。挑戦しないのは、とても勿体無いことだと思います。ぼくは新卒で就職できず、木工職人の修行も半年で挫折し、何も無いところからスタートしました。

「人生を変えたい」という想いを持っている人は、思い切って日本から出てみてはいかがでしょう。ぼくでよろしければ、ご相談も承ります。FacebookかTwitterに、ご連絡ください。

Facebook:Eita Satou(佐藤英太)

放浪系フリーライター。引っ越しは年に4回くらい。日本ではゲストハウスに住み込みで働きながら執筆をして生計を立てていました。現在はセブ島でコンテンツライティングのお仕事をいただきながら編集と英語の勉強中。個人ブログ(放浪系フリーライターの日常)も書いています。味覚がハジケルほど旨みのある暮らしを追い求めています。 Phil Portal全員のメンバー紹介ページはこちら

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