こんにちは。
コタツライターの佐藤英太です。
コタツライターとは、コタツで文章を書き続けるライターのことです。
そう、ぼくはコタツライターでした。
コタツライターの僕が、最も嫌う季節がやってきた
今から一年前の話です。
ぼくが一番キライな時期がやってきました。
そう、クリスマスです。
街を歩くと、どこへ行ってもクリスマスソング。
「日本人はキリスト教じゃないんだから…」といった、ありがちな話をしたくなりますが、それすらも無駄に感じてきます。
納品すること
コタツライターのぼくは時間に縛られることはありません。
納期を守って、文章を納品する。
これこそシンプルライフではないだろうか。
くそぅ…。
クリスマスだというのに、ぼくは文章を書き続けなくてはならない。
筆は銃より強し、という言葉がある。
ぼくは筆という強みを持っている。
基本的にリア充の脳みそは空っぽのはずだ。
しかしぼくには、筆がある。つまり書く力がある。
よし、出来上がってきたぞ。
やはり、いつ見てもぼくの文章は完璧だ。
一本の電話からストーリーが始まった
あれ、電話が鳴っている。
誰だろう…。
「ちょり〜す」
「あぁ、キムタクか。どうしたの?」
「いや〜彼女に振られちゃってさ〜。激萎えだよ。」
「あ、そうなんだ。振られる相手がいることは幸せだよ。」
「そうかな?まぁいいや。とりあえずクリスマスの予定なくなっちゃから飲みいこうよ。」
「あ、クリスマスね。(えっと…納品日は余裕あるし1日休んでも大丈夫かな)了解!」
「さんきゅ〜。じゃあいつもの鳥貴族でよろしく!」
「は〜い。」
「あ、そういえばダイキがフィリピンから帰国したから、ダイキも誘っとくわ。なんかフィリピンだとめっちゃモテたらしいよ!笑」
「おー。ダイキか。懐かしいね。了解。(ん…。フィリピンでモテた…?)」
クリスマス当日
「ダイキはフィリピン行ってたんでしょ?なにしてたの?」
「ちょっと時間ができたから、バックパッカーしてきたんだよ。」
「へぇ〜。おまえ行動力だけはあるよな。フィリピン楽しかった?。」
「めっちゃ楽しかったよ。フィリピン人はみんな幸せに暮らしてるね。何人かフィリピン人の友達もできたんだけど、なんかおれモテた気がするわ。」
「お前がモテるなんてありえないっしょ笑。」
「いやいや!ほんとだって!お前らは信じないだろうけどさぁ〜」
「その話、詳しく聞かせてもらえないか?」
※ダイキはイメージ画です。 画像のクレジット
旅立ち。それは突然の出来事たった。
ダイキからの話を聞いて、ぼくはひらめいた。
マーケットを変えよう、と。
残念ながら日本にはイケメンが多い。
コミュニケーションモンスター(※注)も多い。
しかし、ここはフィリピン。
きっと勝てるはずだ。
※注1:コミュニケーション力が高すぎる人材のこと。
マクタン空港からセブ中心部に移動する
ぼくは、マクタンセブ国際空港からセブ中心地に向かった。
セブに来る前に、【完全ガイド】東京駅・新宿駅からセブ中心地まで行く方法を読んだので一切迷わなかった。
でも、セブ島はどんなところなんだろう…。きっと海に囲まれたパラダイスなんだろうなぁ…。
マクタン国際空港からセブ市内にはタクシーで約30分ほどかかる。そうだ、タクシー移動中に、セブ市内の妄想でもするかな。
(30分後にはこういった綺麗なフィリピン人と会えるだろうな。)
セブ市内に到着
ふぅ、やっと着いた。なんか外の様子が変だなぁ。すこし歩いてみよう。
SHOE REPAIR SHOP…?
靴を直してくれるのだろうか…?
とりあえず、フィリピン人の友達を作らなくては…。
人が多い場所はどこだろう…?
駅?
いや、セブ島に電車はない。
そうだ、ショッピングモールに行ってみよう。
ショッピングモールへ向かう
ここ(Jセンターモール)では旅行者がビザ延長をできるらしい。
フィリピンはビザなしで入国して、30日間まで滞在できる。
このあたりの知識は、フィルポータルを熟読したので完璧だ。
フィリピン(セブ島)でビザ延長する方法を徹底的にまとめました。
それでは、さっそく友達(彼女候補)を探すとしよう。
エイタ「あの〜、日本から来ました。」
店員「あらそう!日本はいい国よね。」
エイタ「これ、買っちゃおうかなー…(あれ、携帯いじってるな…)」
エイタ「宝石でも、買っちゃおうかなー」
店員「いらっしゃいませ〜」
エイタ「この宝石、ぼくに似合うかな?」
店員「いやー、あなたには無理ね。」
エイタ「え…?」
エイタ「(あ、大学生だ。会話に入っちゃおう!)なんの話してるんですかー?」
男性店員「これキモチイイだろ〜〜!!」
エイタ「そ…そうですね。(優しい…)」
男性店員「そうだろ〜〜そうだろ〜〜!!」
エイタ「(優しい…)」
また文章を書いて稼がなくては…。
そう、ぼくには書く力があるんだ。
モテることが幸せなのか?セブ島で人生の豊かさについて考えてみた。
本当の豊かさとは、自分らしくあることである。それはひたすら自分と向き合うことでようやくわかってくる。外に求めても見つからない。
本当の「豊かさ」は、「自分らしくあること」だと考えています。ほかの言い方をすると「無理をしない」ことです。それを「逃げ」と揶揄する人たちもいますが、逃げたっていいんです。
どこかへ逃げて、自分らしくあれるなら、そこに豊かさがあるかもしれません。自分に嘘をついて、演技をして、それをずーっと続けても、自分ではない「どこかの誰か」になるだけです。
その演技すらも自分の一部、という捉え方もありますが、収拾がつかなくなるので「自分らしくあること」として仮置きします。
楽しそうに過ごす人々の共通項とは?
日本各地やセブ島で、楽しそうに過ごす人々と接していく中で発見した共通項がそれだったから。
ぼくがそう考える理由は、日本各地やセブ島で、環境が違えど「幸せそう」に暮らす人々にある共通項がそれだと感じたからです。
以下、日本やセブ島での「豊かさ」にまつわる体験です。出会いや体験を通して「豊かさってなんだろう」と、次第に考えるようになりました。
2014年の5月頃、ぼくは岐阜県高山市の国府町というところでとある夫妻(以下、まきしま夫妻)に出会いました。二人は古民家を改装して「Village」と名付けられたお家に住んでいます。
お家には薪ストーブがあり、ご飯の調理や保温を薪ストーブの上でやったり、近所から建物の解体の際にでた廃材をもらって薪にしていたり。電気はあまり使わないようにする暮らしをしています。といっても冷蔵庫や照明など「これは必要」と思ったものは取り入れています。
暮らしたいように暮らす
決して無理することなく「暮らしたいように暮らす」といった感じです。ぼくが「こんな暮らし方があったのか」と驚いていると、当人たちは「?」といった表情。ごくごく自然に暮らしている姿に、こころが温かくなる感覚を覚えました。
いま思い返せばぼくにとって、「自分の周りの人々とどんな関係を築いていくか」という、いわば「暮らし方のロールモデル」はまきしま夫妻にあったのだと思います。必要なもの・必要でないものをしっかりと見分け、故きを温ねて新しきを知る、といった暮らしをしている。
時にはお家の広間(?)をつかった交流イベントを開催していて、近所のおじいちゃんおばあちゃん、県外の友達、ぼくのような浮浪者も含めてごちゃまぜになって笑いあえる空間づくりもしています。
交流したのは10回にも満たないと思いますが、まきしま夫妻の暮らしぶりはぼくの心にしかと残っています。いまこれを書いていて、こころなしか心が温かくなってきた感覚がしています。
ハイテクな機器があるわけでもないし、ものすごく贅沢な暮らしをしているわけでもない。でもふたりは幸せそうに笑っていて、周りにいる人たちもそう。「豊かさってなんだろう」と考え始めたのは、まきしま夫妻と出会って以来です。
誰もがフツウになれる場所
まきしま夫妻と出会った2ヶ月後、ぼくは長野県松本市のカンデラゲストハウスという安宿に住み込みで働いていました。ぼくはここで約4ヶ月過ごしたのですが、ぼくにとってゲストハウスという空間は「誰もがフツウになれる場所」だと改めて認識しました。
ぼく自身、小・中・高校・大学と学生生活を送ってきて思うのは「抑圧」の中に暮らしてきたということ。何かちょっと変わったことをやろうとするとヤイヤイ言う人々。それが成功すると、手のひらを返したように態度を変える。そんな人たちがたくさんいるものだと、そんな風に思いながら暮らしていました。
いつしかヤイヤイ言われるのを恐れて、あまり目立たないようにしようとするのですが、やりたいことをやろうとすると、人と違うからどうしても目に付く。だから「また、誰かにヤイヤイ言われるんじゃないだろうか」と息苦しくて仕方がなかった。
「誰になんと言われようが、関係ない」などと、軽く1000回以上は心の中で唱えても、いざ声の大きい人にガーッと言われると、凹むし、傷つく。だからモヤモヤを抱えながら、立ち居振る舞い方を意識しつつ、隙間を縫うように暮らしていた。
ぼくがこんな風になっているのはあいつのせいだ、すべてあいつが悪い。なんて誰かのせいにしてしまった方がよっぽど楽なのかもしれませんが、ぼくにはそれができなかった。そうしてしまったら、一生そのまま、自分で自分の行動を決められない、つまらない人間になってしまうと思ったから。
「お互いの常識など通じない」というのが常識
話が逸れてしまいましたが、ゲストハウスでの暮らしは、実に楽しかった。いろんな国の人々が訪れるその場所は、まず「お互いの常識など通じない」というのが常識。いち個人対いち個人として接していかないと、つじつまが合わない感じになってしまう。
日本の常識は海外の非常識だし、海外の常識はまた日本の非常識でもある。だから、そこには常識なんてないんです。ヤイヤイ言う人たちが「それがフツウ」といっていた「常識めいた」ものは、実はとっても狭い範囲でしか通じないもので、むしろぼくからしたらそっちの方が非常識。
「新卒で就職できなかった人」
一般的な日本社会では、ぼくは「新卒で就職できなかった人」でしたが、ゲストハウスでは「佐藤英太」といういち個人として振る舞うことができたのです。理想としている暮らしを話しても「それはただの理想」だとか「さっさと就職したら?」とか「ゆとりらしい考えだね」なんて言う人は全くいませんでした。
カンデラゲストハウスでは、4畳半の部屋で寝泊まりをし、ご飯は自炊をして(ゲストへの対応でご飯を中断することもしばしば)、ライティングの仕事も並行して月間で300時間近く働きながらも決して贅沢とは言えない暮らしをしていました。
でも、最高に楽しかった。松本市に引っ越したばかりの時はひとりぼっちだったけど、国内・海外問わずいろんな友達ができた。離れる時には「まだここに居たい」と思えるほど、ぼくの心にはなにか大切なものが残った。
豊かさとは
「豊かさってなんだろう」と、まきしま夫妻にであって以来あたまを過るこの疑問符がぼくの心を刺激します。
ぼくにとってゲストハウスは「自分らしくあれる場所」で「誰もがフツウで入れる場所」です。
カンデラゲストハウスで過ごした4ヶ月間は、本当に豊かだった。最低限ご飯を食べていく、また勉強をしたり、便利な暮らしをするためにお金は必要です。しかしそれでは手に入らないなにかが、間違いなくあるということを、まきしま夫妻との出会いやカンデラゲストハウスでの暮らしで感じました。
循環する暮らし
長野県松本市の次は高知県へ移住しました。当時のぼくは田舎暮らしに関心があり、高知県土佐郡土佐町にある「笹の家」に暮らす、わたぬきさんを訪ねました。
笹の家は高知市の中心街から車で約90分ほどかかります。ヘアピンカーブを含む険しい山道を進み、大きな橋や小さな橋を渡ってようやく到着します。
当然お家の周りは山、山、山。というか、山の中に暮らしている感覚です。
田舎に暮らしながらライターとして暮らしてみたいという相談をさせていただき、またわたぬきさん自身が今後はどうしていきたいのか、といった点を伺いました。
わたぬきさんは、奥様と、子供3人と「循環する暮らし」を実践しています。実践というのはぼく視点から見た表現で、当人たちは、ごく普通に暮らしているだけ。
わたぬきさんのお家は、ガスを全く使っていません。エネルギー源はまきしま夫妻と同じく「薪」です。訪問した際は「ねぇ聞いてよ。今月ね、ガス代0円だったんだよ!メーターを測りに来た人もびっくりだったろうね!へへっ。」と満面の笑みで語っていました。
驚くことに、水も山からダイレクトに引いてらっしゃいました。「いまは水のラインが一本しかなくて、本当はもう一本引きたいんだよね。ほら、ひとつダメになったら水飲めなくなっちゃうから」。と淡々と話すようすにぼくは驚きをかくせませんでした。
山に入って、水の通るパイプを見せてもらったのですが「これが我が家のライフライン」と言っていて、それ以上にふさわしい言葉がないくらいのハマり具合に笑ってしまいました。
他にも椎茸やお米も自家栽培していて「まず餓死することはないね」と誇らしげに語っていました。「お金がないと暮らせない」とばかり思っていましたが、突き詰めると「食べ物がないと暮らせない」というのが本当だと思いました。
なぜこんな暮らしをするのかを尋ねると
「暮らすことを、少しずつ自分の手の中に戻していきたいんだ。ほら、いまって働いてお金を稼いでそれで食べ物をかったり家賃を払ったりしているでしょ。それって暮らすことを他の誰かに任せちゃっていると思うんだよね」。
ただ暮らしていく
また今後の展望を伺うと
「うーん。なにも特別なことをする気は全然なくって。ただ暮らしていく。これをずっと続けていくつもり。その過程で出会う人たちが、僕たちを見て何かを得て、各々持って帰ってくれれば嬉しいかな。だからぼくはただ暮らしていくだけ」。
と語ってらっしゃいました。これには本当にシビれました。
お伺いした当日は、奥様が咳をしていて
「風邪ですか?」と尋ねると
「そうなの、ここ、夜はすごい冷えるの(ゴホゴホ)」と奥様。
「わたしも〜」とつづく長女に、ぼくも「そうなんだ(かわいいなぁ)」と相槌。
「ぼくもー」と弟がつづきます。
リズムの良さに思わず笑ってしまいました。
モテなくても幸せに暮らせる。セブ島でぼくが出した結論。
舞台は国外に移り、フィリピン・セブ島。ぼくはひょんなきっかけから、フィリピン・セブ島にてライターの仕事をもらうことになりました。セブ島でも相変わらず「豊かさってなんだろう」と考え続けていました。
ここでぼくは「自分らしくあること」という結論を出しました。
セブ島の街を歩いていると嫌でも「貧富の差」を感じるものを目にします。路上で生活しているひと。「ギブミーマネー!」と絡んでくるストリートチルドレンに遭遇したかと思いきや、ドイツ車がその横を通り過ぎたり。
20階建てくらいのホテルの裏側に、どローカルの人たちが暮らす集落のようなものがあったり。貧富の差があからさまです。
それでも「ギブミーマネー!」と言ってくる子供達は満面の笑みを浮かべているし、どローカルレストランで働く人たちも、楽しそうに談笑したりしている。(中には気だるそうに働く人もいますが笑)
セブ島では、ぼくはタクシーで移動していて、よく運転手と会話をします。大概のタクシードライバーはおしゃべりで、向こうから積極的に話しかけてみます。
「どこから来たんだ?」「日本人?働いているのか?」「じゃあお給料はいくらだ?」とものすごくストレートになんでも聞いてきます。
セブ島民は「ビサヤ語」という現地語を話していて、それを使って挨拶をするとものすごく喜びます!「ビサヤ語知ってるのか!へへ!おれも日本語ちょっと知ってるぜ!コンバンハ!だろ?」といった具合のやりとりをします。
ビサヤ語の会話集!5分でフィリピン人と打ち解けるため13フレーズ!
しかしタクシードライバーの性格は千差万別で、たまに乗車を断られることもあります。「そっちは行きたくない」とか「これからお家に帰る」とか「ご飯食べに行く」といった理由で。
ものすごくダルそうに働いている人たちにも共通するのですが、みな「無理をしていない」のです。タクシードライバーなのに「そっちは行きたくないからヤダ」なんて日本では考えられませんが、自分に素直という風に捉えると納得できます。
ああそう。「じゃあ行き先が一致したときに乗せてよ」といった具合です。
ちょっと自分に素直過ぎる気もしますが、貧富の差に関係なく幸せそうにしている人たちは「無理をしない」ことをしています。
疲れたら休むし、嫌なら嫌とはっきり断ります。面白ければ笑うし、悲しければ泣く。腹が立ったら怒ります。身振り手振りも交えて、自分の感情を全身で表現していて、その点を日本人と比較するととっても豊かです。
「自分に素直になる」「無理をしない」
ほとんど同じような意味合いですが、この2つは、自分らしく暮らしていく上でとっても大事なんだなぁと実感しました。
セブ島で素直に暮らして見ませんか?
本当の豊かさは、自分の外側でなく、内側にあります。一人旅をしてあちこち行こうがなにをしようが、自分の中にある感情と向き合わないと決して気づくことはありません。
ぼくの場合はまきしま夫妻との出会いが始まりでした。出会って、自分の中に生まれた感情に向き合って、答えを探してあれこれ模索する。「自分の感情に素直になる」という点ではセブ島民の暮らしは参考になります。びっくりするぐらい素直です。
ビビッときた人はセブ島に来てみてはいかがでしょうか?
ぼくでよろしければ、ご相談も承ります。FacebookかTwitterに、ご連絡ください。
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おわり。