ぼくの小学校時代、英語の授業はローマ字(アルファベット)を教わるものでした。A=ア、I=イ、U=ウ、E=エ、O=オ そしてあとは子音とそれを組み合わせて音が作られる。といった風に教わり、それが英語のすべてだと勘違いをしたまま卒業しました。
魚であれば「SAKANA」、林檎は「RINGO」、学校は「GAKKOU」です。
「なんて簡単なんだ…!ぼくはもう英語をマスターしてしまった…!」
そんな気分でした。
そのまま中学に上がると、どうでしょう。なにが起こるかは大体想像がつくと思います。記憶が定かではないのですが、とある英語の授業で、こんな感じになりました。
先生:これを読みましょう。「This is a Pen」
「!? ペンはわかるが、ほかのやつは一体…?」
もう、だめでした。「今までの英語はなんだったんだ」「マスターしたはずなのに」
ぼくは打ちひしがれました。いま思い返せばとんでもないアホですが、当時は崖から突き落とされた気分になりました。英語アレルギー発症です。それ以降のぼくの英語の成績は、大体30点台でした。
丸暗記で語彙が少し増える
英語アレルギーは当然、高校時代も続きます。しかし赤点をとっていては進級できません。そこでぼくは考え、ひらめきます。
「英語のテストは大抵、単語の意味、文章読解、簡単な作文だ」「しかも出題範囲は限定されている。丸暗記をしてしまえば国語のテストと変わらないはず」
そんな仮説を立て、実行します。テスト前の2週間、毎晩教科書を音読し、本文と日本語の意味の対応を完璧に暗記しました。そしてテスト当日、テスト用紙が配られました。名前を書き、問題に目を通します。
「なんて簡単なんだ…!」
ぼくの仮説は当たっていました。テスト範囲をすべて丸暗記していたぼくには、英語のテストが「超簡単な国語のテスト」に見えました。
テストの文:「次の文を読み、下記の問いに答えなさい」
ぼく:「ふっ読むまでもない。サラサラッ(回答)」
結果は97点。赤点をとり、留年するかもしれない不安から解放されました。高校時代の英語は、すべてこの作戦で乗り切りました。振り返ってみると、この経験は地味にぼくの語彙を増やす結果となりました。
英語に対するアレルギーも、このころにはなくなっていました。
音楽で英語に慣れ親しむ
大学時代の英語は、授業もテストも日本語は一切なし。ネイティヴスピーカーが授業をしていたからです。テストの問題文も英語でした。
「これじゃ何をしたらいいのかわからないじゃないか…!」
当時の気分はこんな具合です。
先生は日本語訳を説明してくれるわけもなく、丸暗記作戦は通じなくなりました。
当時のぼくは音楽系の部活に所属し、バンド活動をしていました(ドラム担当)。そこで、好きな音楽を聞いて英語に慣れ親しむ作戦に切り替えます。ビートルズ、オアシスといった有名どころの音楽を聞いて、ひたすら真似をしました。
ドラム担当でしたが歌うこと自体は好きだったので、この練習はぼくにとっては効果的でした。先生の言うこともなんとなくわかるようになり、授業も赤点をクリア。こうして徐々に英語に慣れ親しんでいきました。
一人旅をし、外国人と遭遇するも全く話せない
ぼくが「英語を話せるようになりたい」と思ったきっかけは一人旅です。2011年に就職活動を控え「色々なライフスタイルを知っておこう」と思い立ち、一人旅にでることにしました。
石川県に住んでいたため、まずは近場の飛騨高山へ。お金があまりなかったため安宿を探し、チェックイン。そこは旅人向けの宿(ゲストハウス)で、たくさんの外国人が泊まっていました。
外国人1「ペラペーラ、ペラペーラ!」
外国人2「Yeah~ ペラペーラ、ペラペーラ♪」
こんな感じの光景が目に飛び込んできました。そして外国人1がぼくに気づきます。
外国人1「ペラペーラ、ペラペーラ!」
ぼく「Yeah~ Nice to meet you! ダッ(逃げる)」
「やっと英語に慣れてきたと思ったのに、全然ダメじゃないか」
ぼくはこれをキッカケに「英語を話せるようになりたい」と強く思うようになります。旅の最中に出会った外国人に片っ端から話しかけて、自分を追い込みました。全然話せないのですが、なんとかコミュニケーションを取ろうともがきます。
とっても恥ずかしかったですが「たぶんもう一生会わないし大丈夫」と自分に言い聞かせ、作戦決行です。一人旅そのものは充実していたのですが、英語に対しては悔しい思い出が残りました。
フィリピン留学へ行き、たくさんアウトプットする
一人旅を終えてからは、英語の勉強を地味に続けていました。音楽を聞いたり、動画を見たり、旅に出て頑張って話しかけてみたり。触れる時間を増やす、といった意識を持っていました。
大学を出たあとは色々なことをしていたのですが、ひょんなきっかけからフィリピン留学のチャンスを得ました。詳しくはこちら。
ぼくがフィリピン留学のインターンシップに参加した4つの理由
2015年の4月から半年間、フィリピン留学をしました。インターンシップという形式で、1日当たりの授業は2コマでした。1日に6時間働いて、2時間(厳密には100分)英語の授業を受ける、というものです。仕事に追われていたので、あまり自習時間の確保はできませんでした。
英語の勉強時間は単純計算で、24週 × 5日 × 100分 = 200時間 です。
ひとつは発音、もうひとつは基本的な挨拶の授業をうけていました。後者は2ヶ月ほどでテキストが終わり、与えられたトピックスに対して議論をする授業に変わりました。
ぼくの目標は「日常会話レベルまで話せるようになること」だったので、留学中に心がけたのは「とにかくたくさんアウトプットすること」です。1日2コマの授業でしたが、日常会話くらいならできるようになりました。
フィリピン留学を通して感じたのは「アウトプットの機会の大切さ」です。日本ではインプットの勉強はできますが、アウトプットの勉強はなかなかできません。
ぼくはじっくり時間をかけてインプットをし、フィリピン留学で集中的にアウトプットをして日常会話程度の英語を話せるようになりました。この機会がなかったら、まだ日本でダラダラと勉強を続けていたかと思います。
以上、ぼくが英語アレルギーを克服して日常会話レベルまで上達するまでの物語でした。