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【インタビュー】フィリピン語学留学で人生を変えるチャンスの掴んだ男の話

本気のフィリピン留学といえばバギオ。そんなバギオのイメージもフィリピン語学留学を志す日本人には定着してきたことと思います。しかし、そのバギオがまだ無名で情報もほとんどなかった頃に、自分を変えるためにバギオへ飛び込んで人生を変えた野口さん。「バギオとは腐れ縁」そう語る彼の個人史に迫ります。

野口 智也(のぐち ともや)
大東文化大学卒。新卒で入社した会社を辞め、自分を変えるためフィリピンへ。以来、約4年以上をフィリピンで過ごす。現在はフィリピンのバギオで日本人の大学進学の援助や語学学校のコンサルタントをしている。

 

社会に出た後に待っていた厳しい現実

社会に出た後に待っていた厳しい現実
− よろしくお願いします。4年目に突入したフィリピンですが、バギオにきたきっかけを教えてください。
大学を卒業して新卒でとある商社に入社したのですが、仕事があわず半年で辞めてしまいました。そのときは何も考えていませんでしたが、実際に辞めてしまってから初めて厳しい現実を目の当たりにしました。再就職先も見つからず、気づいたことは何かスキルがないと駄目だということです。そこで英語をやろうと思いました。

− なぜ、そこで英語だったんですか?何か原体験があるとか。
高校でバンドのボーカルをやっていて、友人が文化祭で英語の歌をやろうと言ったのがきっかけです。エルレガーデンというバンドの曲で、最初は「英語の曲は無理だろ」と反対したんですが、ライヴのDVDを見せられて完全に心を掴まれました。英語に対してかっこいいなという思いはそこからずっとありましたね。

− でも、そのあと大学の4年間を挟むわけですよね。英語との関わり方はどうでしたか?
洋楽は聞いてましたが、英語の勉強は全くしてないですね笑。喋るとかはもってのほかです。

− 仕事を辞めてから、その漠然とした気持ちに意識が向いたんですね。
もうその時は極限状態で、失うものがなかったからでしょうね笑。それと正直にお話しすると、現実から逃げたかったというのが大きいです。

フィリピン留学しかなかった、かつての自分

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− それはフィリピンに行くことで、ですか?
いや、最早どこでも良かったです。職は無いわ、周りの目はきついわで、当時は本当にもの凄く惨めな気持ちでした。何より自分がはったりをこいている割には何も持っていないということに、自分で気づいてしまっていましたからね。面接に行っては落とされる日々で、現実から抜け出して変われるきっかけが欲しかったんです。逃避ですね。

− 当時は世間の風当たりも今より厳しかったでしょうし、大変な思いをされたでしょうね。どうやってフィリピンの情報を得たんですか?
元々ワーホリを考えていましたが、航空券代すら出せる貯金がなくて悩んでいたときに、卒業旅行で訪れたタイでたまたま出会った男の子に聞いたのがきっかけです。その時はまだバギオはものすごく安くて、10万前後で1ヶ月留学できたんです。だから、選んだというようなかっこいいものではなく、選択肢がなかったというのが本当のところです。どこでも良かった。

− なるほど。でもその状況になる前に、半年で仕事を辞めるという大きな決断をご自分でされているわけですよね。それは多くの人ができることではないかと思いますが。
あ〜。いや、僕の場合は精神的に病んでしまってたんです。最後はノイローゼみたいになって辞めました。なので、留学が決定してそれを話したときに、仕事をやめたことも併せて知らせました。今はあの時止めなくて良かったと言ってくれていますが、両親は逃げているだけだと思っていたみたいです。

− 親との軋轢や自分の中の葛藤を持ったままフィリピンへと渡ったわけですね。
そうです。自分の中では背水の陣でした。それでもまだ1度目のバギオ留学の時は、両親も大目に見てくれていたんです。トーイックで800点を取るという目標も設定して説得していましたし、年齢もまだ23でしたからね。

− 元々の点数は、どのくらいだったんですか?
200点台ですね笑。それで留学して最初の1週間で難しさを実感し、1ヶ月で諦めました。お恥ずかしいことに1度目の留学では、2ヶ月間勉強したのに一番下のレベルで入学して一番下のレベルで卒業しているんです。特に最初の1ヶ月は生まれて初めて寝る間も惜しんで勉強したのに、卒業するときのテストの点数が最初とあまり変わらないという。

一度諦めた後に見えた一筋の光

一度諦めた後に見えた一筋の光
− それ絶望ですね笑。
はい笑。でも、それで逆に吹っ切れてそこからジョークを覚えたり、ナンパ文句を覚えたりして英語を学ぶのが楽しくなったんです。楽しくなってきてしまったので、必死で留学資金を大幅に節約できる学生インターンとして受け入れてくれる学校を探しました。運良く学校が見つかり、日本に帰って叔父から出世払いという約束でお金を借りて、バギオに戻ってくることができました。本当に叔父には感謝しています。

− 叔父さまが味方してくれたんですね。一時帰国では実家にも帰られたんですよね?
そうです。その時に勘当状態になりました。親からすると2ヶ月必死でやって変わらなかったものが、あと何ヶ月かしがみついて何になるんだと、現実を見ろと。僕も逆の立場ならそう思います。

− 諦めなかったんですね。普通はそこで折れると思いますが。
現実から目を背けたい気持ちの方がまだ大きかったですから。バギオに帰って3ヶ月勉強しながらスタッフとしても働く、学生マネージャーという立場を経験しました。この期間にある程度英語を話すことへの足がかりを見つけましたね。

− お話にやっと希望がみえてきました。
その期間も終わり帰国することになり、とりあえず次のステップの準備として9ヶ月間東京の日野自動車で派遣社員として働きました。しかし、これが全くお金がたまらない。はたからみれば、半年で仕事を辞めて半年留学に逃げて派遣社員で貯金もない。ロクでもないやつと言われても仕方無い状態でした。

− 年齢も上がっていますしね。また世間の目が付きまとってきたわけですね。
そうなんです。少しましになった英語も衰えてきていて、とにかくなんでもいいから海外で働ける仕事を探そうと思いました。フィリピンにいた頃に知り合った方に相談したら、現地駐在で働く代理店の仕事を紹介してくれて、条件は厳しかったですが飛びつきました。そこで働いている間に奇妙な偶然が起きたんです。僕が最初に学んだ学校と僕が学生マネージャーをした学校が偶然合併することになって、それでどちらも知っている僕に白羽の矢が立ち、3年間マネージャーとしてマーケティングとマネージメントを担当することになったわけです。英語を含めマーケティングなどここでたくさんのことを学び、スキルを身につけました。

苦労人の現在と英語学習法

苦労人の現在と英語学習法

− 諦めなければチャンスは巡ってくるんですね。
そんなこんなで3度目のバギオでやっとチャンスを掴みました。3年の業務を終え、現在は僕を変えてくれたこの業界と土地に恩返しをしたい気持ちと、僕のような境遇の人を応援したいという思いで日本で事業を立ち上げて今は語学学校のコンサルタントや、フィリピンの大学に通いたい方のサポートを現地で行なっています。

− じゃあ今は4度目のバギオですか笑。初めてフィリピンにきた時から5年くらい経ってますね。
腐れ縁ですね、ここは2つ目の故郷ですよ。日本、バギオどちらにもただいまを使います笑。

− では、今後の個人的な目標はありますか?
僕自身がこういった、特に教育面でのきっかけやチャンスに自分を変えてもらったという思いが強いので、少しでも選択肢を提供できる立場として誰かの力になれたらな、とは常々思っています。

− フィリピンと日本の授業を受けてみて、教育について思うことありますか?
点数を取ることが全てで、その活用の仕方を日本では教わらないですよね。どの教科も一緒です。こちらでは使うことを前提として教える。使うために覚えないから、実生活でも実社会でも意味をなさないんです。英語において特にフィリピンには、そこかしこにその意識がある。

− 初めの2ヶ月の留学で全然伸びなかった英語が今ものすごく流暢ですが、オススメの勉強法を教えてください。
はじめは、聞くこと話すことに慣れることが一番なのであまり真剣になりすぎないことですね。そのあとで単語の量であったり文法であったり、自分の足らないところがわかってくるのでそこを改善してください。その後に、簡単な返しはできるが言いたいことを深く、正確に伝えられない時期が来るので、文法と単語は続ける前提でそこから会話文を作って書いてみることですね。最後はエッセイライティングでいろんな要素を含んだ文章を作る。そこから喋れるようになるにはタイムラグがありますが、続ければ必ず喋れるようになります。

− 最初の留学のエピソードを聞いているので、説得力があります。
コミュニケーション英語を伸ばす秘訣は、英語のインタビュー動画を見ながらシャドーイングをすることです。僕はジェスチャーまで真似をしました。シャドーイングについては、内容は最悪わかってなくていいんです。やり続けること。英語の相談をたくさんの人にしてきた中で、一人も同じアドバイスをくれたことはないです。しかし、唯一共通していたことは、できるようになるまでやったということだけなんです。方法はどうあれ続けたことですね。なので僕は、一日でも早く英語を身につけようとするよりも一日でも長く英語を続けるにはどうすればいいかを考えてください、といつも言っています。ある時期から、やらないと気持ち悪くなりますから。

− 筋トレと一緒ですね笑。
本当にスポーツと一緒ですよ。

僕のような人たちへ

僕のような人たちへ
− では最後に、この業界にいると周りの反対で留学を諦める人をよく見ますが、自分の意志を貫く際に役立つアドバイスはありますか?
相手を説得しようとする前に、自分を深く見返すことですね。ふたつ目は自分の中の気持ちや論だけで解決しようとしないで、実際に行ったことがある人に話を聞くことです。そういうことをまとめた上で、もう一度理路整然とアウトプットする。もうあとは、覚悟の問題です。

− 僕も自由とは覚悟のことだと思っています。
そうなんです。人生を変えるときに僕が一番重要だと思っているのは、自分にその道に進んでもいいんだという許可を自分にまず出せるか。先ほど申し上げた、行ったことのある人に話を聞くことは自分に許可をだすのに凄く役立ちます。しかし間違ってはいけないのは、あなたを止めている人も間違ってはいないということ。彼らのいうネガティブな要素も、その人を思って言ってくれていることがほとんどだからです。

− 親なんかは特にですね。
それでも感覚的に留学にいきたいと思うかたにはそのシグナルを大切にしてほしい。3年後の未来で、自分の行きたい道を歩んでいる人生と、そうでない人生。もしそこにたどり着くまでに同じ回数、同じ心の痛みを伴うようなハプニングや問題が起きるとしたらどちらを選びますか?といつも聞きます。答えは言わずもがなですよね。では、その次に聞くのが、あなたには未来が見えますか?と聞きます。もちろん、見えない。

− はい。
じゃあ何で、特に日本人は自分の行きたい道の方が苦労や大変なことが多いと勝手に思うんでしょう。もしかしたら、少ないかもしれない。未来は誰にもわからないということがわかれば選択しやすくなると思います。そして、自分を許して覚悟を持って一生懸命進めば、必ず助けてくれる人は現れます。僕はこれ保証します。僕も本当にそういう人たちに助けられてきた。なぜなら、その人たちもそうやって生きてきたからです。

− ありがとうございました。

インタビュー後記

インタビュー後記

約5年をかけて自分の道を確立した野口さん。彼の語る言葉は希望に満ちて優しいものばかりでした。これから彼のようにバギオで自分に変わる許可を出し、人生を変えていく若者たちが増えることを願います。

昔から縁のあるフィリピンにて、肩書きのない個人として様々なことに挑戦しています。その中でこのフィルポータルでは企画・編集・執筆に携わらせていただいてます。旅と自然と言葉とバスケが好きで福岡→京都→東京を経て、フィリピンに流れ着きました。水のような風のような人生です。「何か一緒にしたい」という声もお待ちしてます。Twitter

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