視線は路上。地上0メートルに湧き上がる人の熱気と飛び舞うホコリ。バラックの影からは勢いよく橙色の肌をした子どもたちが飛び出してくる。そんな第三世界マニラのスラムにスポットを当て、そこに溢れる人のエネルギーと誰しもが持つ美しい優しさや思いやりを描いた映画『ブランカとギター弾き』。
スクリーンに映し出されるスラムの力強さに、まるでリアル側がシアターにやってきたような感覚に陥る。今回は長谷井宏紀監督に制作背景や、映画に落とし込んだコンセプトについて伺った。
長谷井 宏紀(はせい こうき)
岡山県出身の映画監督、写真家。『w/o』がロッテルダム国際映画祭で上映されたのを機に、各地の映画祭に招待される。その後拠点を旧ユーゴスラビア、セルビアに移し、ヨーロッパとフィリピンを中心に活動。『ブランカとギター弾き』で長編監督デビュー。
『ブランカとギター弾き』
ヴェネチア国際映画祭の出資を得たイタリア・フィリピンの合作で監督が日本人という映画『ブランカとギター弾き』。舞台はマニラ郊外のスラム。母親を買うことを思いついた孤児ブランカと盲目のギター弾きピーターのささやかで大きな旅を描いたロードムービー。2017年7月29日より日本全国のシネマで順次公開。
映画で世界を旅する
— まずは長谷井監督の背景からお聞きしていきます。いきなりですが、長谷井監督はご自身をどんな少年だったと振り返りますか?
小さい頃はおじいちゃん、おばあちゃん子だったかな。でも選挙ポスターをぼけっと見て「複雑だな」とか思ってる少年でもあった。
— 現在映画監督、写真家と多方面に活躍されていますが、学生時代からすでに活動されていたのでしょうか?また何かきっかけになる作品があったりしたのではないでしょうか。
20歳くらいの頃、ギャラリーをしていたことがあって、美大に行ってる人とかアーティストのコラージュや絵画、写真に囲まれてた。そこでいろんな人に出会って、心の中にあるものを外に出すということに興味を持った。自分も何かつくってみたいなって思うようになった。
— 20代前半にして作品が海外で評価されたんですよね。
そう。ロッテルダム国際映画祭っていうのがあって、そこで自分の映像作品が上映されて認められた。それからニューヨークだったり各地から呼んでもらえるようになって、映画があれば旅できる!映画最高じゃん!って。
— その映画祭以前から旅や冒険への憧れは既にあったのでしょうか?
一切なかった。映画祭で全然違う文化の人に喜んでもらった時にすごく嬉しかったのを覚えてる。映画を撮るなら色々な文化や人の暮らしを知りたいと思って、それからいろんなところに行ったね。
— 脚本を書くにあたってはじめは苦労されたそうですね。脚本はやはり自身の旅の経験に基づくものですか?
それはあるよ。やっぱり旅をしていく中で視点は増えていく。「あ、こんな見方があったか」とか、「こんなに適当なんだ」とか。新たな視点は大抵、それを知る前よりも楽になる考え方なんだけど。
生活する場所としてのストリート
セバスチャン(左)とブランカ(右)
— 『ブランカとギター弾き』はマニラが舞台になっていますが、他にもなじみの国や場所はありますか?
セルビアかな。エミール・クリストリッツァという映画監督の下で2年くらい食住をサポートしてもらって脚本を書いてた。
— エミール監督のところには長谷井監督のような立場の方が他の国からも来ていたのでしょうか?
いなかった、俺だけ。個人的に気に入ってもらえたみたい。これは思うんだけどセルビアで感じる居心地の良さと、フィリピンの居心地の良さって俺の中で結構似てるんだよね。全然違う場所なんだけど、人の温かい感じとか。
— 海外で過ごす時間が長いなか、時々戻ってきたときに日本のことはどう見えますか?
綺麗。あとストリートが移動の場所。
— 生活する場じゃなくて機能としてのストリートという感じですね。
そうそう。移動するという目的のためだけにある。でもフィリピンとかのストリートって自由じゃん?昔の日本だってそうだったんじゃないかなと思うよね。
貧しい表現は自分よがりに。悩み苦しんだ20代
— きっとそうだったんでしょうね。路上に小さい子どもが走りまわってて。旅費や生活資金はどのように集めていたのでしょうか?
日本でファッション系の写真や映像、カタログやミュージックビデオと色々つくってお金を稼いだら外に出るっていうスタンス。そうやって行ったり来たり笑。でもサポートをしてくれてたのね、ファッションの会社も。すごい応援してくれて、4~5年の間ずっと仕事をくれてた。
— 長谷井監督のクリエイターとしての側面についても伺いたいのですが、「このときが一番悩んでいた」という特定の時期ははありましたか?生みの苦しみと言いますか。
それはやっぱり20代のほぼほぼ。フィリピンに行くまでだね。フィリピンで変わった、バチーンって。あれは自分でも驚いた。こんなに自分が変わるんだって。
— どんな劇的な変化だったのでしょう?
東京に仲間もいたし、面白い条件に住んでたと思う。居場所があったし、居心地も良かった。でも自分の中が満足してなかった。何を表現すればいいんだろう、表現しても自分がつくってるものが貧しい、それを強く感じてた。貧しくなると表現が自分よがりになるよね。
そうやって貧しいなって思ってた28歳の時にトンドに行ってゴミ山でちっちゃい男の子たちが生きるために仕事をしながら、同時に遊びをぶっ飛ばしてる。表現の仕方がフィリピンの子どもたちを見て変わった。
人間は大体同じベースを持ってる。だからそこに届くものをつくる
ブランカ(左)とピーター(右)
— 長谷井監督がよく使われる「ユニバーサルなコンセプト」という言葉は人種や場所に関係なく、人が持っている共通感覚という意味でしょうか?
そうだね。最近入れものに入れるっていう行為が、すごく馬鹿げてるなって思う。例えば日本人とか韓国人とかカテゴライズすること。映画のすごく良いところは人間を描くというところ。だから地球にいる人間すべてを描ける。それはつまり、どこでも表現ができる。
— なるほど。異なる部分を責めるのでなく、誰しも持っている感覚にアプローチする。
人間の感情っていうのは大体ベースは一緒だと思う。そこに文化、言語の違いだったり色々なレイヤーが重なっていくんだけど、掘り下げていくと同じものに突き当たる。その同じベースに響くものって何なんだろうって考えることがユニバーサルなコンセプトってことなのかなって。
— これ以上ない的確な回答をいただきありがとうございます。
楽しいよ、映画。『ブランカとギター弾き』だってフィリピンで撮ったし、キャストもフィリピン。でも物語自体は場所が違っても理解してもらえると思う。だからいろんな国の人たちが反応してくれてるんじゃないかな。
脚本に書かれているキャラクターを探し歩く
セバスチャン(中央左)と長谷井監督(中央右)
— 今回の『ブランカとギター弾き』の制作期間はどれくらいかけられているのでしょうか?
前からフィリピンには短編を撮りに行ったりしてるけど、今回はベネチアやパリを行ったり来たりしながら2ヶ月で脚本を、フィリピンでの製作過程は8ヶ月しかいなかった。
— 映画に登場する盲目のギター弾きピーターは、実際にマニラの路上でギターを弾いていたところを見つけたそうですね。またほとんどのキャストを監督ご自身がスラムで見つけられたそうですが、その基準はどういったところだったのでしょう?
それはもう脚本に書かれてた。キャラクターが。そのキャラクターに書かれた細かな人物像の設定にハマる人を歩いて探し続けた。中でもセバスチャンを見つけるのにすごい時間がかかった。2ヶ月くらい。
— 2ヶ月!セバスチャンはなかなか劇中でもカギを握る役ですからね。と同時にスラムでは母数が多いだけに選出が難しそうですね…。
ひたすら歩きまくってたね。セバスチャン役のジョマルは会った瞬間にその場でオーディションした。そのまま演技のワークショップに2週間くらい参加してもらって、セバスチャンっていうものを深く理解して演じてもらった。だから結構演技してるよ、みんな。あいつなりにセバスチャンを感じて演技してくれた。でも心は凄く近いんじゃないかな。
スラムという名の入れもの。その中にはただ日常があるだけ
— 『ブランカとギター弾き』はストリートチルドレンであったりマニラのスラムに観客の視点を置いてくれる映画ですが、長谷井監督は実体験として貧困の過去を持っているわけではないですよね。その上でストーリーを書けたのは共感からなのか、それとも同じ環境に長い時間身を置いた経験から得られた目線なのでしょうか?
例えばスラムってそれ、“入れもの“だよね。入れものの呼称はスラムなんだけど、その中に入っちゃうとそこはもうスラムじゃなくて日常なわけ。もちろん、自分のテーマに差別や貧困っていうのはあるよ。差別が未だにこの世界にあることを信じられないし、貧困があって、一方で巨大な富を得ている人たちがいる今の状況もハテナが付く。
共産圏のセルビアに長くいてアイデアも生まれたからか、それがより強くなってきたんだと思う。俺、渋谷の道玄坂とかめっちゃスラムだと思うもんね。東京のスラム。「ものを持ってない=スラム」って言語にしてしまうのは豊かではないんじゃないかなと思う。最近、ウルグアイの元大統領ムヒカがすごい好き。
— 世界でいちばん貧しい大統領と呼ばれていましたね。“いちばん貧しい”というとなんだか違和感で、どちらかというとスモール・イズ・ビューティフルを掲げる方という印象ですね。
そう。彼の定義するところでは、「貧困とはものを持ってない人のことを言うのではなくて、止まらない欲望を持ってる人が貧困なんだ」と。
映画はシェアして繋がっていかないと意味がない
— 監督の立場から、この映画を通してどんな問いを提示されていますか?
今ってお金が何なのかって普通考えないじゃん。お金はお金。それでいてお金で大体のものは手に入る。その中で孤児の女の子が、お母さんを買うって発想をしたらどうだろうっていうところからスタート。
— 何も特別ではない、当たり前になりすぎて見えないものを描こうとしたわけですね。
ただ、そこも深くネガティブに掘り下げない。底まで行かずサラッと。ネガティブに捉えようと思えばいくらでもいける題材だから。
— 間違いないですね。普通につくろうとすれば、何か慈善的な行動を喚起したいのか?と捉えられてしまいそう。
そうだね。それを大々的に提示したら「あっちはあっち」、「こっちはこっち」って観る人と制作してる側に距離ができちゃう。だからなるべく自分たちと近く。映画はシェアして繋がっていかないと意味がない。
この映画で言ってることってすごい単純なんだよね。社会問題とかいろんな角度はあるけど、ブランカとピーター2人のストーリーだから。ここに表れる優しさとか思いやりはそれ以上でも以下でもない。それはもうどこの誰だってピンとくることで、それをもう一回かたちを変えて俺が言おうとしただけ。
— 映画を観て、今その真意を聞けてなんだかすごくつながった感覚です。
芸術家って作品をつくることで自分も帳尻合わせる、つまりバランスが取れる。だから、この人たちとこのテーマで一つの作品をつくれたことで自分のバランスが取れたって感じ。
インタビュー後記
作品を観て、その後長谷井監督の話を聞いて腑に落ちた。
劇中効果的に使われる暖色が映画の残像として浮かび上がる。スラムの子どもたち、ブランカのドレス、マニラ湾の夕日。テーマそのものは終始明るい物語ではない。
それでもこの映画が全体をもってハートフルな印象を抱かせるのは、長谷井監督の掲げるユニバーサルなコンセプトが反映されていたのだな、と。
世界が変わるほどの派手なシーン展開があるわけではない。明日も今日ときっと一緒だ。
それでも、そこに描かれるのが、地球の誰もが奥底に持っている優しさであり、思いやりである限り、この映画は多くの人々を魅了するだろう。
ぜひ、フィリピンに行ったことがない人にも届いてほしい。それで、できたらフィリピンにも行ってみてほしい。見えないと思っているもの、そこにあることさえわからなかったもの、愛や優しさのオレンジ色がきっとあなたの目にもきっと映るから。
インタビュー撮影者:清澤 一輝