フィルポータルの記事は全て、それぞれのライターの個性と熱い気持ちが充満しています。
記事を読んでいていつも思うこと。それは「自分の旅行や留学の経験を文章にして伝えられることは、どんなに素晴らしいことなのだろう」ということです。
どうして旅は、旅の文章は、こんなに魅力的なのでしょうか。
今回は私が好きな作家の角田光代のエッセイ『世界中で迷子になって』を参考にあなたを「旅の文学の世界」へと誘います。そして、フィリピンで旅の小説を書いてみませんか?
世界が自分のいる「ここ」だけではない
子どもは、自分が生きている場所が世界の全部だと思う。言葉にして思わなくとも、無意識にそう思っている。少しずつ大きくなって、そしてあるとき、世界というのはここではなくて、ここ以外にも果てしなく広がっていると気づく。
数々の文学賞を受賞している彼女でも、世界が自分のいる「ここ」だけではなく、途方もなく広いらしいと、気づきはじめたのは、大学生になってからとのこと。
同じサークルで四国出身の女の子とか、大学にいる同い年の男の子とか(ずっと女子校だった)、特定の知識に秀でたへんな先生とか、はじめていった居酒屋とか、ささやかなものからそうでないものまで、新しく降りかかってくるすべてのものごとが、総動員して彼女にささやきかけたのでした。
世界はあんたのいるそこではないよ。内側ではなく外側にあるよ。信じられないくらい広いよ。あんたはなんにも知らないんだよ。
その後、彼女は本格的な旅にはまります。訪れた国は三十数カ国、同じ国にいったことも含めると旅の数は単純計算でもっと多いそう。彼女は、旅に取り憑かれた理由を「世界を知るのが遅かったからだろう」と述べていました。
もっと早く、ほかの聡明な子どもたちのように、小説や映画や、お菓子や音楽や、歴史や地理で、世界というものは広いのだ、自分の知らない世界はここ以外に途方もなくあるのだと知っていれば、ここまで旅に固執しなかったはずだ。なぜならそうしたものに触れることで旅することを知るだろうから。
けれどあいにく、私はそうできなかった。実際に自分で出向いていき、それでようやく「ああ、本当にこの場所は存在していたんだ」と知るしかない。今も私はそのようにして旅をしている。旅をしたいと思うとき、いつも、本当にそこに世界があるのかどうか、知りたいだけなのである。
世界を知りたくなりましたか。旅に出たくなりましたか。
……世界を知りたいと考えないとき、今の生活の本拠地に心から満足している人は、「旅」に出る必要をほとんど感じないかもしれません。今、この場所で、自分が生きているはとても幸せなことであり、これ以上望むものは何もないと考えるからです。
一方で、どんなに旅に出たくても、学校の授業や仕事があったり、お金がなかったりして、実際にはなかなか旅に出られない人もいるかと思います。ですが、そんな時のために「旅の文学」があります。「旅の文学」では、神話の時代から、現代小説、アニメの世界まで、多くの旅人が描かれています。「旅の文学」を読めば、「読書」という大きな旅に出かけられます。
ただ、物語の主人公と一緒に旅立ち、一喜一憂したり、大きな怒りに駆られて悪者を懲らしめる物語を読み終えたら、読書という旅は終わってしまうもの。そこからは私たちの現実という「大切な物語」が開幕します。現在進行形で進むこの人生という旅は、変化のない虚無的な毎日を過ごすだけでいいのでしょうか。
旅を終えた後に旅の文学作品を読むと、風景や匂いまでよみがえってきて読書がさらに楽しめます。旅に出ることには損得勘定で考えてもいいことばかりです。
しかし、幸か不幸かフィリピン・セブ島を舞台にした文学作品の数は少ないのです……。
では、せっかく旅に出るなら、フィリピンが舞台の文学作品を書くつもりで出発してみませんか。初めての海外旅行でも、日本からは飛行機で四時間、時差はマイナス一時間と過ごしやすい異国。そんなフィリピン・セブ島は、実は旅の文章を綴るのに適している海外なのかもしれません。
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あわせて、当記事でもご紹介しましたが『フィリピンで旅の小説』を書き、フィルポータルで公開したい方もぜひご連絡ください。
あなたが持つフィリピン・セブ島への熱い思いを綴ろうではありませんか!