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先日、とある知人からこんな相談を受けました。

「どうしたら、そんなに自由になれるの?」

ぼくは驚きました。端から見たらそんな風に見えるのかと。そんな相談をされたのは初めてだったので、小一時間ほどお話を聞き、ぼくの経験や何を考えて行動していたのかなどをお話ししました。

もしかしたらニーズがあるかもしれないので、まとめておきます。

佐藤英太(さとうえいた)の概略プロフィール

2013年03月 石川県の大学を卒業しアルバイトを始める
2013年10月 岐阜県にて木工修行を開始
2014年03月 挫折、半年で木工修行を辞める
2014年04月 お金がないのでリゾートバイト開始(同時にライターインターンを開始)
2014年07月 長野県松本市のカンデラゲストハウスで住み込み働き
2015年01月 高知県高知市のカツオゲストハウスで住み込み働き
2015年04月 セブ島の語学学校でライターインターン
2015年10月 フィルポータルでフリー素材とライター業を兼ねる

以下に、主なできごとを書いていきます。

木工職人の夢に挫折する

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2014年3月、ぼくは岐阜県高山市の「森林たくみ塾」を、やや後ろ髪を引かれながら退塾しました。「日本の森林再生に、つくる人として貢献する」と、木工職人になることを夢見ていましたが、わずか半年で挫折しました。

「大量にものをつくる」ということに、ついていけなかったためです。たくみ塾では積み木や棚・木箱などのクラフト製品の製作に携わっていました。1日に数百、時には千以上もの部材を加工する日々を送っていました。

また「木工の世界は『0.1mm』、それ以上狂ったら製品にならなくなる」と教わっていました。実際に、わずか0.1mmの違いで部材同士を組み合わせられないこともありました。ぼくにとってそれはとてもシビアな世界でした。

そんなシビアな違いを見分けつつ、スピーディに仕事をする。また、機械加工は、怪我と常に隣り合わせです。ぼくは「失敗に対する恐怖感」「怪我に対する恐怖」「迫り来る納期に対する恐怖感」を増大させ、ストレスを一人で抱え、それが原因で単純な指示をすぐに忘れてしまうようになりました。

これでは仕事にならない、とプレッシャーに拍車がかかり、お休みをもらい、色々と考えた結果、そのまま退塾するに至りました。

両親にわがままを言い、友達や知り合いなどいろいろな人に「木工職人になる」と宣言していたので、辞めたことは自分自身かなりショックでした。

しかし、これはぼくの人生にとって大きな出来事だったように思います。ここで学んだ「丁寧に・かつ疾く」という考えと、納期に対してシビアな感覚を持つことは今の仕事でも活きています。

アルバイトの合間に英語とライティングを勉強する

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たくみ塾を辞めたあとは「とりあえず生活をしなければ」ということで、山奥にある温泉旅館で住み込みのアルバイトをしていました。仕事内容は野菜を切るなどの簡単な調理補助やお皿洗い、料理を運ぶ、などのホール業務です。

これといったスキルを得られるわけではないので、仕事の中抜け、仕事終わりの時間にライティングの仕事(無給インターン)と英語の勉強をしていました。

「早く違うどこかへ行きたい」という焦燥感に駆られながら機械のように仕事をこなし、勉強時間に力を入れていました。

ぼくの英語は中学レベル以下だったので(5文型が理解できてない)、英語に慣れ親しむための勉強をしていました。具体的には好きな音楽を真似する、ニンテンドーDSの英語漬け、Duo3.0の音読の3種類を30分〜1時間ずつやっていました。

ライティングインターンは「ライター 求人」などのキーワードで一心不乱に検索をして得た仕事を、つかんだ糸を離すまいという思いで取り組んでいました。

温泉旅館には3ヶ月いたのですが「逃げたい」という一心で過ごしていました。かなりネガティブな感情にまみれていましたが、勉強への勢いは加速していたように思います。

逃げたいという思いも、時にはエンジンになります。ただ結構な精神的負荷がかかるので、何か目標を設定して具体的な行動まで落とし込んだ方が良いと思います。

ぼくの場合は雲をつかむような思いで英語の勉強とライティングの仕事をしていました。たしか当時はお金を貯めてドイツへWwoofをしにいく計画を立てていた記憶があります。

ライティングの仕事は、場所が変わっても仕事を変えずに済む方法を模索する中で思いつきました。英語の勉強時間は1000時間と設定し、リゾートバイト中は200時間を目標にしていました(3時間×90日×8割)。

ゲストハウスで住み込み働きをする

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温泉旅館を去った後は、長野県と高知県のゲストハウスに住み込みながらライティングの仕事をしていました。長野では4ヶ月、高知には3ヶ月滞在していました。

長野県のゲストハウスには山好きが、高知県のゲストハウスには酒好きが多く訪れていました。宿ではゲストの対応をしつつ、仕事の合間にライティングの仕事をする生活。

原稿は宿の休憩スペースやカフェなど、ちょこちょこ場所を変えながら執筆していました。長野では週2本、高知では週に4〜5本の記事を必死に書き、その頃には10万円程度の収入を得られるようになっていました。

長野ではほとんど収入を得られませんでしたが、徐々に仕事が増えていき「糸を掴みかけた!」と、この勢いに乗らないわけにはいかないと息巻いていた記憶があります。

仕事柄たくさんの人と接していたので引きこもっている感じはあまりなく、とても楽しい毎日を過ごしていました。ゲストハウスという空間は、年齢・性別・肩書き・宗教などに関係なく、皆がフラットに接することができるのでぼくにとってすごく居心地がいいものでした。

ゲストハウスに飛び込んだのは、「ライフスタイルを見直そう」という考えがあったからです。ぼくがゲストハウスの存在を知ったのは、大学時代に一人旅をしたときです。

自転車で日本一周をしている人、会社の休暇をつかって旅行をしている人、転職活動中で宿泊費用を抑えている人、さまざまな人に出会いました。

また「なんて居心地がいいんだと」驚いた覚えがあります。さまざまな経歴をもつ方々と接していく中でライフスタイルを見直し、今度は働く側としてゲストハウスに滞在してみたいと思い、飛び込むことに決めました。

あのフラットな空間の居心地の良さは、今でもナンバーワンです。もしかしたら将来的に、ゲストハウスを作るかもしれません。

この頃には、ライティングでの収入獲得、記事用の写真撮影、宿の切り盛りや地域情報の発信など、できることが少しずつ増えてきました。

セブ島でライターインターンをする

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ゲストハウスを去った後は、いよいよセブ島に訪れることになります。高知県で、語学学校の経営者に誘ってもらったことがキッカケでした。セブ島では、英語の授業をもらいつつ、フィリピン留学の情報発信をすることに。

具体的には記事の企画を考えて、執筆・写真撮影・編集・入稿といった流れです。組織の中で働くのは初めてで、かなり緊張していた覚えがあります。半年働いていたのですが、正直に言うと、大した成果はあげられませんでした。

コミュニケーションをとることにストレスを感じすぎていて、執筆作業に集中できなかったためです。これはぼく個人の問題ですが、周りに人がいる空間では執筆に集中できません。話しかけられたりすると、もうダメです。しかしそんなわがままは通用しないので、なんとかするしかありませんでした。

タイマーで時間を計って自分にプレッシャーをかけたり、その日の予定と結果を日報で報告したりするようにしましたが、ストレスの方が勝ってしまいました。

「組織の中で働くことが、根本的にあっていないのかも」と感じながら、仕事をする毎日でした。

ここでの経験はまだ、自分にとってどんな意味を持つのかよくわかっていません。故・スティーブジョブズが「コネクティングドット」と言うように、いつかどこかでわかるんだと思います。

一応、SEOキーワードの選定、キーワードを軸にした記事執筆、英語での簡単な取材ができるようになりました。

フィルポータルのフリー素材兼ライターとなる

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語学学校での仕事を終えた後は、まさかのセブ島滞在が延長になりました。フィルポータルを運営している坂内学(ばんないまなぶ)さんに誘っていただき、フリー素材兼ライターとして働くことになりました。

現在は常夏の島、フィリピン・セブ島で時にしんどく、時に楽しくフィリピンやセブ島の情報発信をやらせてもらっています。また記事の中でキャラクターを設定し、演じるという仕事を地味に楽しんでいます。

ゲストハウスにいた時や語学学校でインターンをしていた時は就職することが頭にちらついていましたが、フリーランスとしてどこまでいけるのか、いけるところまで積み重ねていこうと思います。

「なぜライターをしているのか?」とよく聞かれるのですが、自分でもよくわかっていません。挫折し、逃げて、行き着いた先が現在地だったという感じです。

これも、いつか振り返った時にわかるのだと思います。

まとめ:ぼくのやってきた、たったふたつのこと

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さて長々と書いてきましたが、大学を卒業してからのぼくのやってきたことはたったのふたつ。「丁寧に・かつ疾く」仕事をすることと、「考え続ける」ことです。

木工を辞める直前は、かなり色々のことを考えました。こんな状態ではどこにも就職できない、住み込みアルバイトも3ヶ月で終わってしまう、ずっと継続的にできるものはないか。

「なぜこんな状態になったのか?」「そもそも仕事とは?」「お金って何?」とにかくたくさんのことを考えました。自分に自信はないけれど、何もしないわけにはいきません。「自分にもできそうだな」と思うことから少しずつ始めていきました。

体調を崩したり、すっとぼけたりして納期を過ぎてしまったこともありますが、納期までに仕事を組み立てて丁寧に仕事をすることを続けてきました。

木工職人見習いからライターになったと言うと「え、全く違う領域だよね?」と驚かれることが多いですが、基本は同じです。記事(文章)を届ける相手がいて、その人のことを考えながら期日までに原稿を書き上げます。

木工も、製品を手に取る人がいて、その人の喜ぶ顔を想像しながら製品作りに励みます(残念ながらたくみ塾ではできませんでしたが)。だから、基本は一緒です。

どうしたら自由になれるのかはわかりませんが「丁寧に・かつ疾く」を心がけていった結果、ぼくはフリー素材兼ライターとして現在お仕事をいただいています。

放浪系フリーライター。引っ越しは年に4回くらい。日本ではゲストハウスに住み込みで働きながら執筆をして生計を立てていました。現在はセブ島でコンテンツライティングのお仕事をいただきながら編集と英語の勉強中。個人ブログ(放浪系フリーライターの日常)も書いています。味覚がハジケルほど旨みのある暮らしを追い求めています。 Phil Portal全員のメンバー紹介ページはこちら

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