フィリピン
この言葉を聞いて直感的に思い浮かべるものはなんだろうか?
綺麗なビーチリゾートや甘い果物、また急速な経済成長を思い浮かべられたりもするだろう。しかしそれらと同様に、むしろ先行して持たれているイメージとして犯罪、麻薬、貧困、売春、ストリートチルドレンなど負の側面を抱えていることもまた嘘ではない。
フィリピンにやってくる多くの人が後者の現実に不安を感じていることと思う。無論注意をすることに越したことはない。しかし、どうか恐れるあまり負の側面の少しだけ近くにあるというだけの人やモノにまでフタをしてしまわないでほしい。
「フィリピンにいる」という圧倒的な非日常、絶対に日本では出会うことのない体験を得るチャンスを逃し続けることだけは避けたいとぼくはいつも思っているからだ。
今回紹介するお話をみなさんに真似してもらいたいわけではない。フィリピンを「恐いもの」にしてしまっているのは実は自分なのかもしれない、と少しだけ考えてもらえたら幸いだ。
真夏のセブ島、5月のこと
暑い。そうもらす頃にはすでに汗の滴が頬をつたって地に落ちていた。
以前にマクタン島からセブ島まで渋滞を待てずに歩いて橋を渡るという場面があった。その橋の上から偶然トタン屋根の集落が水上に突き出ているのを見つけた。発展真っ最中のセブの都心部とのコントラストに驚いたぼくはそれ以後もこの地域のことが気になって仕方がなかった。
参考:【歩く速度でセブを見る】交通渋滞に耐え切れずタクシーを降りたらいつもと違ったセブが見えた話
調べてみるとその地域にはロオクという名が付いている。近くには大通りを挟んでセブ大学が建っている。
実はあの後一度この地域を下見を兼ねて歩いてみたところ、現地でバスケットボールをしていた青年の集団と関係を築くことができた。改めて今回カメラと一緒に彼らの地域を歩くことができるようになったというあらすじである。
彼はそのリーダー格のエルジー。20歳の大学生だ。
夏休みが終わったら髪の毛は染め直すのだと言う。エルジーは現在水上集落では暮らしていないが、過去に暮らしていたこともあるそうでずっとこの地域を遊び場にして育ってきた。
足場の悪さも関係なしに彼らは迷路のような水上の「道」をぐんぐん奥へと進んで行く。
驚いたことにこうした水上の空間にも結構家禽や犬など動物の姿が見られる。
はじめは見慣れぬ日本人の来訪に少し警戒されているように思えたが、何度か同じ道を通るたびに笑顔を見せてくれるようになった。子どもたちはここでも元気いっぱいだ。
洗濯や魚をさばく主婦たちとも「この魚はああだこうだ」といった他愛もない話を展開する。
集落の中から橋が見える。前はあちらから眺めた場所に今自分は立っているのだ。
そうしているうちに老いた男が目の前の海で何かしているのが目に入ってきた。
「何をしてるのか?」と聞くと、新たに水上に家を建てるために土台を作っているのだという。こうして今もなお住居は増えているのだそうだ。
そこでは数え切れないほど地元の子どもたちがいて思い思いに船から海に飛び込んでいる。
どうやらこれらの船は日常的に隣のボホール島などと行き来しているらしい。そこにいた少年たちに「行ったことある?」と聞くと誰もセブ島とマクタン島以外は知らないという。
エルジーは技術系の大学に通っているが、卒業したらミリタリーになりたいと言う。
その目で世界を捉えよう
昨今騒がれているメディアによる情報の信憑性の問題はもちろんある。真実を伝えるメディアよりも欲しい情報を提供してくれるメディアの方がウケる時代であることは間違いない。
というのもとりわけ人は物事を情緒的に捉えることが好きであって、物語化された情報の方が頭に入ってきやすいところがあるからだ。
最初はそんな疑いや先入観があってもいい。でもどんな形であれ、自分の目で世界を見よう。あなたのいる場所は日本ではない。フィリピンなのだ。