セブシティを知っている方には言わずと知れた夜遊びスポットのマンゴースクエア。ネオンの絶えないクラブやバーが集まるこのエリアにそびえ立つ一際大きくて綺麗な建物の存在をご存知でしょうか?
実はその建物、フィリピンで発展してきたイグリシア・ニ・クリストというキリスト教系宗派の教会なのです。しかしこの教会、普通の教会と違ってなぜか十字架がありません。
今回はそんな謎に包まれたイグリシア・ニ・クリストについてご紹介します。
実際にイグリシア・ニ・クリストの教会に行ってみた
高い塀に囲まれた敷地内に入ると、人々がまばらに談笑をしている姿が目に入ってきます。教会の内部には教室のような部屋やダンスを練習している光景があったりと、一定のコミュニティ、教育機関としての役割を果たしているように思えました。
写真を撮影しながら歩いているとまばらにいた人々の視線を集めていることに気づきます。そうしているうちに案の定男性が一人近づいてきて注意を受けました。写真撮影を禁止していることと英語での礼拝日時の案内をされ、少し談笑した後ゆるやかに敷地外へと誘導されました。
謎は深まるばかりです。
イグリシア・ニ・クリストの歴史
イグリシア・ニ・クリストはタガログ語で「キリストの教会」という意味です。
フィリピンは国民の80%以上がカトリックを信仰している東南アジアにおいて最も西洋の影響を受けている国といえます。しかし、イグリシア・ニ・クリストはそうしたカトリックとは別の歴史や信仰の形をとっています。
イグリシア・ニ・クリストの始まりは20世紀初頭。1886年にマニラ近郊に生まれたフェリックス・マナロというフィリピン人によって1914年に創始されました。父親を幼い頃に亡くした彼は職を転々とした後に神学や聖書を学び、自らの率いる「イグリシア・ニ・クリスト」をアメリカ植民地政府に登記します。
第二次世界大戦頃まではマニラ周辺の小さな集団にすぎませんでしたが、戦後徐々にフィリピン全土で認知されるようになっていきます。当初排他的な性格を持っていたこともあり、カトリック教会はイグリシア・ニ・クリストを共産党同様の洗脳運動だと見なしていた過去があります。
1950〜60年代には反イグリシア・ニ・クリスト運動を行うこともありました。こうして社会的に孤立していった信者は当時内部の結束を固めていきます。その後1963年に創始者フェリックス・マナロが死去すると息子のエラーニョ・マナロは非信者にも移動型無料クリニックなどの社会的奉公活動を施します。
おそらくこうした活動から社会的評価が向上されていったのではないかと思われます。1968年にハワイに教会を設立したのを皮切りに今日では世界100か国以上に約200万人の信者を持つ宗派にまで発展しています。
概要 〜十字架のない教会とは?〜
そんなイグリシア・ニ・クリストは一体どんな信仰を持っているのでしょうか?4つの項に分けて説明していきます。
信者のみが救われる
イグリシア・ニ・クリストは黙示録7章に記載されている「東の方に上ってくる天使」に創始者のフェリックス・マナロを重ね、彼こそが神の使いであるとする信仰です。まさに西洋を中心としたキリスト世界と逆転の概念としてフィリピンに起こりました。
信者になる以外に救いの道はないとされています。
偶像崇拝の禁止
偶像崇拝を全否定するスタンスはイエスの像などを頻用するカトリックへの徹底的な抗いとも捉えることもできます。イエスのみならずイメージのシンボルのようなものも偶像崇拝とするため、教会でさえ十字架も見られません。
イエス・キリストが十字架にはりつけになっている像はカトリックの特徴です。
三位一体の否定
三位一体はキリスト教学において最も難解な概念であり、同時に中心的な考え方の一つです。
「神には父・子・聖霊という異なった三つの品位がされていましたが、それらは別々のものではなく同一の神が持つ性質の話である」という概念です。聖書上では神という形のない実体(父)に肉体を得た姿がキリスト(子)であり、その中には精神(聖霊)があるとされ、それらは一つのものであるという考え方です。
イグリシア・ニ・クリストではこれを真っ向から否定することによって三位一体論を保持するカトリックやプロテスタントからの迫害に遭ってきました。
厳格な戒律
イグリシア・ニ・クリストには厳格なルールがあります。
まずどんなことがあっても週に2度集会に参加しなくてはなりません。出席状況も厳格に管理されているといわれています。これによって信者たちの相互扶助ネットワークを構築します。
セブシティの教会では英語、タガログ語、セブアノ語で集会が行われるようです。それぞれ曜日と時間は異なります。
また十一献金といって信者は収入の10%を教会に収めています。
さらに信者は動物の血を使った料理を食べること、労働組合への加入、そして何よりもフィリピン人の大好きなフィエスタ(お祭り)に参加することも禁止されています。もちろんクリスマスもありません。
そしてイグリシア・ニ・クリストでは信者同士でなければ結婚することはできません。そのため仮に外国人が信者と恋に落ちた場合改宗する他に結婚する方法はありません。先に述べた世界中に信者が広まっていった背景にはフィリピン人の海外への労働進出とこうした国際結婚があります。
イグリシア・ニ・クリストの立場
フィリピンでは2015年にはベニグノ・アキノ大統領によってイグリシア・ニ・クリストの創立記念日である7月27日を「国民の祝日」に定めるなど、政治権力との関係も悪くはないようです。
※ちなみにフィリピンでは祝日には勤務していなくとも給料と生活費調整給というボーナスが支払われるようになっています。
今回2016年の大統領選挙で当選してこれからフィリピンのリーダーとなるドゥテルテ氏を支持する姿勢を表明するなど、フィリピン国内外にネットワークを築いていることも含め、選挙時や政治活動にとって大きな影響を及ぼすといった状況も出てきました。
内部の固い結束と「信じる者のみが救われる」といった選民思想ゆえに迫害の過去もありましたが、非信者の改宗への働きかけや興味関心に対する門戸は開かれているようです。
今後の展開
日に日に信者を増やしているイグリシア・ニ・クリストですが今後世界展開していく中でフィリピン人という枠を超える存在として認識されるようになるのか、という問題があります。現在世界中に信者が増えているとはいえやはりその大半はフィリピン人、またはそのフィリピン人のパートナーです。
信者を増やしている過程にあるイグリシア・ニ・クリスト。特に同じアジア圏生活するキリスト教徒にとって(本来の西洋的なルーツとして捉えられる)キリスト教を「フィリピン発」ではなく「東洋発」の精神的救いとして身近に感じられるか。今後さらに世界展開していくカギがそこにあるのではないかと筆者は思っています。