バギオにあり、TOEIC対策に強い語学学校として有名なTALKアカデミー。
ここで日本人マネージャーとして活躍している木下さんにワーキングホリデーでオーストラリアに渡ったのち、バギオを訪れるまでの物語をお聞きしました。
木下成美さん
オーストラリアでの2年に渡るワーホリ生活を経て、現在はバギオのTALKアカデミーにて日本人マネージャーとして活躍している。
留学を思い立った2つの理由
– よろしくお願いします。英語学習または留学をしようと思ったのはなぜですか。
私の場合、英語を喋れるようになりたいというよりは、海外に出たいと思ったのが始まりです。姉の存在が理由のひとつとして大きいですね。
– お姉さんが先に留学に?
大学卒業後にワーホリでフランスに留学していました。その頃の私は海外にも英語にも全く興味がなかったのですが、たまたま姉の留学先に遊びに行く機会があったんです。そこで再会した彼女が見違えるほど変わっていて、海外に行くと人がこんなに変わるんだと驚きました。
– それは、どんな変化だったんですか。
渡航前は優しくて、とにかく大人しい人だった姉がフランスで再会したときには外向的で自分の芯を強く持っている人になっていました。それが海外に興味を持った最初のきっかけですね。
– 海外でひとりで生きるって生半可なことではないですもんね。ヨーロッパは独自の文化や思想もありますし。
大変だったんじゃないかと思います。もうひとつのきっかけは、東北大震災のときにボランティアに参加したときのことです。参加していたアメリカ人の方々と意思疎通ができず、もどかしい思いをしたことが心に残ってます。
親との関係
父には反対されました。半ば強引に渡航したのですが両親も反対したものの、その時はまだ「1年経ったら大人しく帰ってくるだろう」という感じでした。問題は2年目で、セカンドビザで滞在を伸ばしたいと言ったら父の逆鱗に触れました。「許さない。約束を守れないのか」と。
– 心配されてたんでしょうね。それに懲りずに現在はバギオにいらっしゃる訳ですが(笑)
はい(笑)。オーストラリアで出会った留学生はバギオ経験者ばかりで、皆がみんなバギオが良かったと言うので興味が湧いたんです。勉強ももう少ししたかったし、日本にも帰りたくなかった。そのことを伝えた時は「もう帰ってこなくていい」と言われました。結局、母から一度顔をみせなさいと言われて一時帰国こそしましたけど。
– やっと帰ってきた大事な娘が次はフィリピンの、しかも聞いたこともない都市に行くとなると心配になる親御さんの気持ちもわかります。
次の一年後には絶対帰ってこいと言われました。でも、自分自身も未来に絶対はないって今までの経験でわかってたから、約束はできませんと言ってバギオにきました。予定では(笑)帰ることになっています。
念願のオーストラリアへ
– では、オーストラリアに渡航した後のお話を伺っていきます。差し支えなければ、どの程度費用を貯めて渡航されたかをワーキングホリデーを志す人のために教えてください。
150万弱だったと記憶しています。
– なるほど。渡航前の英語レベルはどのくらいだったんでしょうか。
渡航前に中学英語の文法の参考書を二冊やりました。なので、中学程度の文法はわかるけど全く喋れないという状態ですね。
– 文法の基礎をやっていったことは、財産になりましたか。
長い目で見ると良かったと思います。語学学校のクラス分けテストで文法をしっかり勉強していったことよって、最初から中級のクラスに入れられてしまい、リスニングとスピーキングが全くついていけず大変でしたけどね(笑)。
オーストラリアでの闘い
最初の3ヶ月は本当に地獄でした。1日を通じて一言しか発せなかったり、先生に当てられて全く喋れなかったり。あとは、南米やヨーロッパの方々の自己表現が強く、私が先生に当てられても彼らが勝手に答えたりして、すごく悔しい思いをしましたね。
– それは悔しい。
このままだとまずいと感じてそれから毎日一番前の席に座ったり、隙があれば発言したりしました。そのうちに先生や友達の言うことがわかってきて、友達ができてからは徐々に変わりはじめましたね。
– 英語と同時にメンタルが相当鍛えられたんじゃないですか。
そうだと思います。それでも毎日浮き沈みが激しくて、毎日辛かったですよ。でも、なぜか帰りたいとは思わなかったですね。どうしたらできるようになるのか?っていう気持ちが大きかったから。
– 相当な試行錯誤をされたと思いますが、オススメの勉強法は?
音楽が好きなので、毎日ラジオで音楽のチャンネルを聞いてました。でも結局、どんな方法でやるかより、続けることの方が大事だと思います。単語学習は毎日やってます。オーストラリア行く前から続いているので、5年近く毎日。10分の日も1時間の日もありますが、必ず毎日。
渡航前後で圧倒的に変わった価値観
実家でシェアハウスとカフェをやりたいな〜とか、なんとなくは考えてます。そうなったら、もちろん英語も使える場所にしたいとも思います。
– そうなんですか!いいですね。それも何か渡航中にヒントがあったんですか。
明確にはないですが、オーストラリアやフィリピンでの生活が、この方向に私を導いたのかなとは思います。海外に住んで日本で働いていたときと比べられないくらい沢山の人にあったし、全く境遇の違う人たちにも会えたし、いろんな働き方も見れたから。
– 働き方や生き方に対する考え方が大きく変わったんですね。私は留学の価値はそんな風にいろんな人や世界に触れ、自分に向き合うことだと思っています。
渡航前、いつも文句を言いながら働いている人にたくさん出会いました。一概に悪いとは思いませんが、今の私はそういう働き方は考えられなくなっています。私が留学で出会った人たちは精神的に追い詰められるまで働かないし、夜はしっかりと家族の時間をとる。そういう感覚を以前は知らずに生きてただけだったんだなと思います。昔を思い出すとあれはあれで良かったんですけど、もう一回するかといわれれば無理ですね。
– 自分の声を聞く時間が忙しすぎると埋もれてしまったりしますよね。
毎日夜遅くまで下手したら土日まで働いていると、なにも考えられなくなっちゃう。昔の私がそうだった。追い詰められている人もそうですよね。はたから見れば、「やめればいいじゃん」ってことでも、その選択肢を考える余地すらないから追い詰められてるのであって。
どこでも、なん日でもいいから外へ!
– 木下さんにとって、留学が本当に大きなきっかけになったんだなとお話を聞いていて感じます。
もし留学に行かなかったとしたら、今もあのマインドで働いているかもしれないと思うと恐ろしいですよ。そう思うと、なんかありきたりな言葉になっちゃいますけど、やっぱり留学で人生が変わったと思います。
– 変えようとする意志に対しては必ず何らかの結果が返ってきますよね。最後にこれから留学に来る人に対してアドバイスをお願いします。
私は英語を勉強して欲しいとかは全く思わない。けれど、どこでもいいのでどこか外に出ていって欲しいと思います。特に、今の仕事や人間関係に何か違和感を持ってる人は一度でいいし、どこでもいいから。
– 留学じゃなくてもいいということですか。
はい。外に出ること自体が重要です。その経験のおかげで私は今、不安も怖いものもない。どこでも生きていける気がしているんです。両親とかは信じられないかもしれないけれど、給料の高い仕事をして良い家に住んだりすることがいいことだとか、そういう固定観念を捨てることができて本当に楽になった。自由になった。
インタビュー後記
オーストラリアに渡航する前や渡航した直後の彼女は、こんなに自信に満ち溢れた顔ではなかったんじゃないかと思います。かつて彼女が憧れた、彼女のお姉さんが手に入れた芯の強さを彼女も手に入れたのだと感じました。
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