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「神様ここですか?」夕日が教えてくれた運命の街。バギオで4年間暮らす岡崎さんの話

名は体を表すということわざがある。読んで字のごとく名前はその性質や実体をよく表すという意味だが、ものや人につけられた名が潜在意識に与える影響は多かれ少なかれある。そのことわざをまさに体現するかのように生きる岡崎るつ記さん。珍しいその名前に込められた意味と宿った使命。そんなことを踏まえつつ、彼女の異国での営みについて語ってもらった。

岡崎るつ記さん(31)
道徳をもって国を良くしていこうといういう理念の下、バギオを中心に活動するCRFVというNGO団体に所属。同時にオーガニックファームで野菜の栽培、販売を行う。

 

もくじ

バギオで暮らす。農と営み

バギオで暮らす。農と営み
— 改めて、お名前からお伺いしてもよろしいですか?

岡崎るつ記です。1985年8月6日生まれです。

— 留学が終わってどれくらいバギオにいらっしゃるんですか?

2013年の6月に留学が終了して、一旦日本に帰ってから2013年の10月にここにきたので、3年と4ヶ月になります。

— 現在ここバギオでどんな生活をされているんですか?

バギオにあるCRFVというNGO団体に所属しています。外国人はわたしだけですね。
普段は街から毎日ジプニーに乗って、このオーガニック農園にきて基本的に平日は一日中、農作業をやっています。朝7時頃から、18時頃まで働いてます。ただ、作業が多い日は限られた灯りの下で20時過ぎまでせっせと作業していることもあります。

— CRFVという団体について教えて下さい。

実はもともと農業関係ではないんですよ。Council for the Restoration of Filipino Valuesといって「個々人が良い価値観を持つことによって、国を良くしていこう」っていうコンセプトで、その価値観の波及を計る団体なんです。

CSC(Civil Service Comission)と呼ばれる国家公務員全体の管理をしている組織とパートナーシップを結んで、公務員にむけてセミナーを行なっています。日本でいうところの、道徳とか倫理のようなものですね。

— なるほど。余談ですが、フィリピンの学校に道徳の授業ってあるんですか?

道徳のクラスですが、以前はあったけれど、なくなってしまったと聞きました。とても大切な学びのはずだと思うのですが。政府機関の汚職や賄賂は無くなっていなくて、CRFVはそこに切り込んでいく感じですね。

その名に導かれて。運命の国フィリピンへ

その名に導かれて。運命の国フィリピンへ
— バギオに住むまでの経緯をお伺いしていきますが、留学されるまでのご職業は?

横浜にある保育所で働いていました。高校・大学と保育とは関係のない学校を卒業して、その後、保育所で働きながら通信制の短大で保育士資格を取ったんですよ。

— そうだったんですね。大学や保育所と進んでいく中で、自分の道を決めるときに道しるべはあったんですか?

何をどう話したらいいでしょう…。指針、いろいろありますが、わたしの名前「るつ記」の由来から話そうかな。両親が藤崎るつ記さんという実在した方の人生が描かれた『るっちゃんのおくりもの』という本を読んで“るつ記”とつけたそうです。

牧師の娘であった藤崎るつ記さんがフィリピンに留学中、海で溺れた友達を助けたところ、友達は助かり彼女は亡くなってしまった。聖書には「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただの一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」という一節があります。

ご家族が「フィリピンの貧しくて進学できない若者が教育を受けられるように」と生前のるつ記さんの想いを継承した内容でるつ記記念基金を設立されました。藤崎さんは一粒の麦となって、たくさんの実をフィリピンにもたらしたんですね。

— そんなお話があったんですね。

るつ記という名前は、もともと聖書の中にあるルツという女性の物語が描かれたルツ記という書物からとられています。ルツ記と藤崎るつ記さんの人生の両方が自分の中でも指標となっていて「自分のああしたい、こうしたいということよりも人のためになれたらいいな」っていう感覚はずっとあったと思います。その舞台がまさか本の内容と同じフィリピンになるとは思っていなかったですけどね。

— 運命のようなものを感じずにはいられませんね。学生時代にも海外渡航経験があったんですか?

あります。中学生の時に初めて行った海外がフィリピンでした。その時は、ミンダナオ島のダバオに行きました。大学時代にも一度今度はダバオからさらに車で数時間行ったところに孤児院を建てる計画があって、作業をお手伝いしました。ほかにも、韓国、バングラデシュ、タイ、カンボジアといろいろな国に行かせてもらいました。

中でもカンボジアには7ヶ月滞在して、日本人学校が当時ない中で、現地に住む日本人家庭の子供たちに漢字や算数を一日一時間家庭教師として教えたりしていました。

— 当時からすごく活動的ですね。

その後、一般的な就職活動をすることもなく、保育所で働き始めて保育士の資格をとったタイミングで海外に出ることを決めました。海外に出る準備期間としてPINESで留学することになりました。27歳になる年だったかと思います。

PINES留学が分岐点に

PINES留学が分岐点に

CRFVフィリピン人スタッフの作業風景。

— どうしてバギオ、そしてPINESを選んだのでしょう?

インターネットで気候が良いと知りました。セブだと誘惑が多いけどバギオなら勉強に集中できるかなという理由です。PINESに決めた理由はTOEFLの勉強がしたくて、TOEFLのコースがあるバギオの学校をPINESしか見つけられなくて決めました笑。

— TOEFLの勉強ということは、留学後にどこか他国の大学へ入学される予定だったんですか?

そうなんですよ。当初は、シンガポールでMissionaryになるための勉強をしたかったんです。日本語では宣教師。クリスチャンなので、宣教師として東南アジアで働くという想いでいました。

— 宣教師という選択肢は保育所で働いている頃から考えていたんですか?

いつか海外で人のために働きたいっていうのを、ずっと自分の中では暖めていたのかもしれません。シンガポール行きはバギオに来てから諦めることになりました。

留学中に「PINESで授業を受けながらスカラーをしてみないか?」とお誘いいただいて、当初3ヶ月の予定だった留学を6ヶ月に延長しました。後半は授業を受けつつ、夕方には初心者生徒向けに自分もクラスを持ってましたね。

— 留学が終わる頃には最初にお話いただいたCRFVとすでに関わりがあったのでしょうか?

PINESでの留学4ヶ月目に担当の先生としてジョイスに出会いました。彼女がCRFVに所属していたので、一度CRFVのオフィスに遊びに行ったんです。それが関わりのきっかけですね。ジョイスは今ロースクールで勉強していて、今年司法試験を受けるそうです。

CRFVはパラリーガルという法律関係のセミナーもやっていて、彼女はそちらの講師も同時進行で行なっています。

 

PINES留学が分岐点に

バギオで暮らすきっかけとなったアコスタ牧師ご夫婦と岡崎さん。

— ジョイス先生に出会った頃から、留学が終わった後もバギオと関わろうと考えていたんですか?

結局6ヶ月留学したんですけど、日本に戻る前には決めてました。また戻ってこようって。日本に戻って何をしていたか覚えていませんが、3ヶ月のんびりしてバギオに戻ってきたんです。

— CRFVのどんなところに惹かれたのでしょうか?やはり、この農園ですか?

いいえ、最初は有機農園があるなんて全然知りませんでした。もっと言えばCRFVの活動にとりわけ興味があったわけでもありません。

ただCRFVのナショナルディレクターであるヴォルテア牧師とディグナ・アコスタ夫人に出会って、家族のように受け入れられ、「私がいるべき場所はここだ」と思いました。

— 直感ですね。

はい。でも農園で働くのも昔から夢の一つではありました。なのでオーガニックファームがあるのを知ったときには嬉しかったですね。

根づき、学んで、伝えていく

根づき、学んで、伝えていく

CRFVと協力関係にあるアコスタご夫妻の所有する畑であるAdam’s Gardenは現在、主に岡崎さんとフィリピン人の青年クリスさんが手入れしている。

— これからのご自身の活動について考えていることはありますか?

これまでの3年間はがむしゃらにやってきました。人数が足りないと泣きそうになりながら仕事をすることもありましたが、今では、CRFVとの連携で時々インターンも来るようになりました。

— 有機農業のインターンですか。岡崎さんは教える立場になるということですね。

そうですね。インターンは有機農業とはなんぞやというところから、実際的な方法までを学ぶことになります。私は、農園での実習の際にインターンと関わっています。マニュアルもできつつあって、将来的には、CRFVと連携して農業関係のセミナーも組み立てる方向で動いています。

— インターンは、フィリピンの方が対象になると思いますが、日本の人でも参加は可能ですか?

可能ですよ。これからインターンを採ることも増えるかもしれません。

物語のつづき

物語のつづき

2014年、2015年と二年続けて台風等の嵐でグリーンハウスのかなりの割合が破壊されてしまった。こつこつと修復して現在は8割以上が使えるようになっている。

— 今後もしばらくはバギオにいようという予定ですか?

そうですね、日本に帰ることはあまり考えていないです。ここが今、自分にとってのフィールドかなと思っているので。はたから見たら「何やってるんだろう」と思われるかもしれませんが、自分の中では全てつながっていて、ずーっと思い描いてきたことが実現したかなって思ってるんです。

— 聞いていてもなんだかすごく自然だなって感じます。たどり着くべくしてここに行き着いたというような。逆に、今まで人生で迷っていた時期はありましたか?

迷った時期もありますよ。学生時代にカンボジアに7ヶ月いて、もう東南アジアはいいかなと思った時期がありました。大学を卒業したらヨーロッパに行こうか、ぜんぜん違うことやろうかな、なんて考えていたこともありました。でも、不思議と今もフィリピンにいますね笑。

— 導かれたというか直感にしたがって。

うん。これもひとつ直感の話なんですが、わたしは子供の頃から下関の西側の海を見て育ってきたんです。そこは夕日が沈むのが本当に綺麗な場所でした。それを見ていつも、「これに匹敵するか、これよりも美しい夕日を見たなら、その場所に住もう」と思っていました。

初めてここから夕日を見たときに思ったんですよ。「あー、ここだったか」って。「神様、ここですか?」本当にそう思ったんです。

— 確かに標高は1500メートルもあるのに、場所によっては海に沈む夕日も見えるんですよね。バギオって。

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Facebook:岡崎るつ記

インタビュー後記

インタビュー後記

バギオを覆った厚い雲が斜面から剥がれて行く瞬間。

その人を見れば、聖書の言葉がわかるような生き方をしてほしい

インタビューを終えて手に取った『るっちゃんのおくりもの』にはこんな一説があった。

背伸びも早歩きもせず、淡々と自然。だけど、どこか颯爽として、大きな法則に身を委ねた、そんな印象を受ける。フィリピンの山あいの街バギオのはずれ、斜面に沿った畑で今日も仲間と共に作業する岡崎さん。シンプルな毎日の中に慎ましい手応えを感じる様子にはこちらまでほころばせてしまう何かがある。

夕刻、インタビューが終わる頃には斜面を覆っていた分厚い雲が剥がれ、薄い霧の向こうにある太陽が逆にそのシルエットをくっきり見せてくれる。この日も恐ろしいほど美しい夕方だった。

インタビューと社会派コラムを担当するライターです。いろんな場所に行って、たくさんの人と話して、その声を代弁できる情報屋でありたいと思っています。個人ブログ(さぐりさぐり、めぐりめぐり)で紀行文・コラムも書いてます。 Phil Portal全員のメンバー紹介ページはこちら

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