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フィリピンの山奥に位置する高原都市バギオ。今でこそ北ルソンの中心都市としてフィリピン国内では有名な都市になっていますが、その歴史は100年ちょっとと浅め。そんなバギオの歴史には意外にも日本人が大きく関与しています。

アメリカ統治下、第二次世界大戦、終戦後と海を渡った祖先たちはどんな歴史を駆け抜けたのか。一本の道路の物語をお送りします。

ケノンロードの歴史

ケノンロードと日本人の関わりについて紹介します。

1. アメリカ統治下(1900年~)

ケノンロードの歴史
時代は20世紀初頭、アメリカ植民地時代のこと。1898年の米西戦争でアメリカがスペインを破り、フィリピンをアメリカ領とします。しかし、マニラのあまりの暑さにアメリカ人たちは涼しさを求めて北へと開発を進めていくことになります。

厳しい山岳地域を切り拓く道路建設には世界中から約4000人の労働者が集められました。多くの労働者が事故やマラリアで犠牲になる中、海を渡った日本人労働者たちは勤勉に仕事をこなし、その功績が今にまで記録として残されています。

日本人たちはこの活躍によって現地で地位を獲得し、そのまま残ってフィリピン人と結婚することも珍しくありませんでした。

2. 第二次世界大戦(1941年~)

ケノンロードの歴史
そんな栄華の時も長くは続きませんでした。第二次世界大戦によってアメリカ統治下のフィリピンにおける日系人の評価は一転します。それに加えて、アメリカの植民地フィリピン人の血も入っているということで日本人からも敵扱いされてしまいました。

こうして日系人たちはそうした周囲からの視線を逃れるため、北ルソンのさらに山奥へと逃れていきました。

3. 終戦30年後(1975年~)

ケノンロードの歴史
それから30年間彼らは日系という自身のルーツを隠しこっそりと暮らし続けました。しかし、身分のない彼らには教育や医療を受ける権利がありませんでした。30年の間にかつて築いた地位はすっかり消えてしまいました。

そんな中定年までミッションスクールの教員を務め、その後フィリピンの子供たちの世話に興味を持ったシスター海野氏がこっそりと身を隠して暮らす日系人の存在を知ります。彼女は日系人の地位向上と名誉回復、さらには教育の機会を得るために奨学金制度や農業協同組合を築きながら北ルソンの地を歩き回ります。

そんな彼女の活躍もあって徐々に自信を回復した彼ら社会復帰が遂げられました。彼女の活躍なしに日系人の歴史は語れません。

ケノンロードの歴史を感じるためのスポット

バギオ郊外にはいくつかケノンロード建設の歴史に触れられる場所があります。

ケノンロード展望台

ケノンロードの歴史
マニラへと伸びるケノンロードがいかに困難な道であるかをまさに示している場所。深い谷の彼方よりくねくねと道が続いています。この展望台は自信を取り戻した日系人とフィリピン人の友好の証として建設されたものです。

今は何でもない静かな山の上といった雰囲気ですが、下を見れば難攻した工事の様子を思い浮かべられるかもしれません。

 

ケノンロードの歴史を感じるためのスポット
熾烈な道路工事の指揮をとったケノン大佐の記念碑もここに残されています。

 

行き方・場所

バギオ市中心部よりタクシーで30分ほど。約120ペソ(約280円)。「ケノンロード・ビューパーク」で通じると思いますが、下記「ライオンズ・ヘッド」のすぐ手前にあるのでこちらの名前でタクシーを捕まえてもいいでしょう。また既に市街地を抜けているため帰りのタクシーを現地で捕まえるのは難しいです。行きのタクシーに待っていてもらうのが賢明です。

ジプニーも時々走っていますが、山道を蛇行するので酔いやすい人にとっては要注意です。

英語名 Kennon Road View Point
入場料 無料
開放時間 24時間(道路沿い、屋外のため)
定休日 なし
住所 Kennon Rd, Baguio, Benguet

ライオンズヘッド

ケノンロード
ケノンロードを展望台から5分ほど下ると突然金色の大きなライオンの頭が現れます。こちらは1968年から世界最大の社会奉仕団体ライオンズクラブが4年間かけて造った建造物。

 

ケノンロード
マニラ方面からバギオに入る際にこの金色のライオンが目に入ると「バギオはもうすぐだな」と思えます。

 

ケノンロードの歴史を感じるためのスポット
当然そのインパクトから観光地・撮影スポットとしても有名です。

実はライオンズヘッドは、元々付近にライオンの顔のような形をした自然岩が存在したことがきっかけで建設されたと言います。こちらも金色のモニュメントの付近に健在なのでお見逃しなく。筆者は見逃してしまいました。

 

行き方・場所

 

ケノンロードの歴史を感じるためのスポット
こちらも同様にバギオに向かうタクシーを拾える事は稀なためタクシー運転手に待っていてもらいましょう。

こちらもバギオ中心部セッションロードよりメータータクシーで30分ほど。120ペソ(約280円)でした。往復300ペソ(約690円)ほどでバギオ中心部よりタクシーをチャーターできます。

英語名 Lion’s head
入場料 無料
開放時間 24時間(道路沿い、屋外のため)
定休日 なし
住所 Camp 6, Kennon Road

まとめ:切っても切れないバギオと日本人の関係性

まとめ:切っても切れないバギオと日本人の関係性
近年語学留学先として人気を博しているバギオ。不意にこうして多くの日本人がこの街に集まり始めたのはなんだか偶然ではないような気がしてしまいます。先人たちの苦闘の先に今の日本人の評価があって、「ようこそ」という温かいバギオの空気が作られている、そんな気がしてなりません。

バギオには日本人ゆかりのスポットが数多く点在します。あなたがバギオに来たのもきっと偶然ではないのではないはずです。

インタビューと社会派コラムを担当するライターです。いろんな場所に行って、たくさんの人と話して、その声を代弁できる情報屋でありたいと思っています。個人ブログ(さぐりさぐり、めぐりめぐり)で紀行文・コラムも書いてます。 Phil Portal全員のメンバー紹介ページはこちら

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